我的愛球史 第44話 「1997年、平安高校・・・」
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こじっく
2010年11月06日 17:06 visibility4407
僕は高校野球が大好きです。
好きな学校を挙げれば・・・まず北大津高校。大ファンです。自分の母校ではありませんが縁を感じています。今、一番応援している学校です。
宜野座高校も好き。八重山商工も。それから隠岐高校も甲子園に出た時は嬉しかった。
一度だけ甲子園に出た中標津高校も忘れがたい。
山梨の市川高校は僕の人生に影響を与えてくれた学校です。一生忘れないでしょう。
甲子園に出たことはありませんが、鳥取の青谷高校・・・実は僕が「高校野球シミュレーション3」で熱心に遊んでいた時、勝手に監督させて頂いて春夏連覇を達成させていただきました。鳥取は参加校が少ないので甲子園に何回も出られるかな・・・という理由でセレクトさせて頂きましたが、感情移入してしまって今では自分にとって特別な学校になってしまいました。と言うわけで、現実の青谷高校のみなさん、応援しております。
他にも好きな学校はたくさんあります。
自分の母校も当然応援しています。
しかし、僕が子供の頃から憧れていた高校野球の強豪といえば何と言っても平安高校(龍谷大学付属平安高校)です。
帽子の「H」、胸の「HEIAN」、伝統の純白と濃紺のユニフォーム・・・シビれます。僕が草野球チームの発起人をさせてもらった時、迷わず帽子を模倣させてもらいました(胸のネームは予算の関係上アルファベット一文字・・・)
校歌も歌えます。
毎年、平安高校の動向を追いかけています。
平安が夏の予選で負けると、しばらく落ち込んでしまいます。
もう、高校野球の楽しみが半分なくなったような気分、最近は北大津も応援しているので、そうでもないですが。
だから平安が甲子園に出るとなると僕の気合も大いに高まります。
1997年の春と夏は本当に燃えました。
前年の秋に平安は近畿大会優勝を果たしているので春のセンバツ出場は分かっていました。
あとは甲子園で優勝できるかどうか・・・だと思っていました。
なぜなら、川口知哉投手という絶対の左腕エースが存在していたからです。
テレビで見ていても存在感がすごい。
全ての動きに凄みを感じる。
この選手はとんでもないスターになる。そんなオーラが漂っていました。
迎えた春のセンバツ。
まずは星稜高校を5−3で下します。
「あの川口君が3点取られた・・・」
僕は驚きました。やはり甲子園と言う舞台に出てくる学校は皆強いんだ・・・という当たり前のことを思ったのです。
2回戦の日南学園は2−1で勝利。
ここまでは順調。しかし準々決勝で同じ近畿勢の報徳学園に2−5で敗退。
秋に近畿で優勝しているだけに同じ近畿の学校に負けての敗退は悔しかったことと思います。
しかし、この悔しさをバネにして、平安高校は厳しい京都予選を勝ち抜き、夏の甲子園に戻ってきます(予選で平安打線は本当に振るわず、危ない試合がたくさんありました・・・)。
1回戦は伝統校の県岐阜商に8−4。京都では湿りがちだった打線が目覚めました。
2回戦は藤川兄弟バッテリーの高知商業に5−1。・・・あの藤川球児に貫録勝ち!
3回戦はやや苦しんで浜松工に3−2。好投手である伊藤投手との我慢比べを制します。
準々決勝の徳島商戦。9回終わって1−1の投手戦でしたが、耐え抜いた末の延長10回に4点とってそのまま5−1で勝ちます。
準決勝は前橋工が相手。左の好投手同士の投げ合いになりますが終わってみれば3−0で川口投手は甲子園で初の完封!まさにベストピッチを見せました。
京都勢として42年ぶりの夏の甲子園優勝に王手をかけました。
決勝の相手は同じ近畿勢の智弁和歌山。その秋に阪神入りする中谷捕手や後にロッテ入りする喜多外野手を擁し強打線を誇ります。
平安は2−0の劣勢から盛り返し、6回終わって3−2とリードを奪います。
しかし、継投の作戦をとることのできた智弁和歌山に対し、川口投手に全てを託す平安は終盤に失点を重ね3−6。
8回、9回と闘志に燃えてランナーを出し球場を沸かせますがホームは遠く、深紅の優勝旗を手にすることはできませんでした。
結局、春も夏も同じ近畿勢に敗れて夢を絶たれてしまいました。
しかし、京都市民は平安の久しぶりの快進撃に大いに沸き、拍手でナインを迎えました。
打席に立ったら塁に出るのは当たり前、驚異の安打製造機 奥井正憲左翼手。
堅い守備で何度もチームを救った 村岡拓二塁手。
勝負強いバッテイングで学業も優秀 辻本裕哉一塁手。
エースで四番 チームの大黒柱 川口知哉投手。
ファイトあふれる炎のプレー 控え投手としてもチーム支えた 奥原耕三三塁手。
鉄壁の遊撃守備 楠本正美遊撃手。
好リードでエースを助ける扇の要 山田拓哉捕手。
その強肩は相手の脅威の的 田中篤史右翼手。
攻守ともに堅実にチームに貢献 宮田芳弘中堅手。
・・・と、まあ、この年の平安ナインは本当に僕の中では忘れられないチームなのです。
地方予選から甲子園の決勝まで、テレビと新聞でずっと平安を追いかけていました。
高校野球で、あれだけひとつのチームに惚れ込んだのは初めてでした。
そして、甲子園の後、国体には川口君は登板できず奥原君が投げましたが、その試合後に川口君は笑顔でプロ入りの希望を表明。
ドラフトでは4球団競合の末、希望していたオリックスに入団が決まります。
翌春のオープン戦ではヤクルト古田敦也選手から三振を奪うなど、川口選手は「さすが!」というピッチングを見せますが1軍登板はなし。
その後もプロではなかなか思うような活躍は見せられず、通算9試合、0勝1敗の成績を残して引退。
今は女子プロ野球、京都アストドリームスのコーチとして活躍されています。
1997年に感動を与えてもらったファンの一人として、川口知哉さんのこれからの指導者としての人生の充実を心よりお祈りいたします。
そして、1997年の平安高校のみなさん、あの時の感動は今も色褪せていません。ありがとうございました。
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