我的愛球史 第45話 「つかの間の優勝」


 (写真と記事は関係ありません)
 
 実は、1997年、阪神タイガースは優勝していたのです。

 阪神ファンの僕も忘れていましたが、確かに優勝していたのです。

 歓喜に浸れたのは1日ぐらいでしたが、本当にスポーツ新聞の一面は「阪神優勝」でした。

 ガセではありません。

 さすが福の神吉田義男監督、3度目の阪神監督就任でもやってくれました!

 本当です。

 ただし・・・開幕前に行われた「ナゴヤドーム・トーナメント」で・・・。決勝の相手、中日だって・・・こんな時は新球場のホーム球団に花持たせたらいいのに・・・。

 この事実、今日まで忘れていました。

 しかし、確かに「阪神優勝」の文字が躍ったスポーツ新聞を見た記憶が蘇ってきました。

 そして、あの春の一日の記憶も・・・。

 1997年3月5日に僕は甲子園に日本ハムとのオープン戦を見に行ったのでした。

 日本ハムの先発は高卒ルーキーの矢野諭投手で、阪神先発の山村宏樹投手より出来が良かった。

 制球の定まらない山村投手に

 「山村ァ!お前何年生やねん!矢野は一年生やぞ!」

 と厳しい野次がまだ肌寒い甲子園に響いていました。

 もう全盛期は過ぎていたけれど、落合博満さんのバッティングも見られたなぁ・・・センター前ヒット、鮮やかだった。見られて良かった。

 ルーキー今岡誠選手がセカンド守ってた。

 そして、新庄剛志選手が僕ら外野席の声援に応えてスタンドを振り返って帽子をとって挨拶してくれた。これは嬉しかった。

 ロッテから移籍してきた定詰雅彦捕手が決して速いとはいえない足で盗塁してくれた。貴重なものを見た。

 日本ハムの矢野選手の後に出てきた投手が悉く良くなくて7−2で阪神hが勝った。

 そんなオープン戦でした。

 そして、そのオープン戦で活躍していた平塚克洋選手が、シーズンが始まっても快打を飛ばし続け、135試合出場、.293,17本塁打、68打点と堂々の5番打者を務めた。

 平塚選手と言えばオリックス時代の「日替わり4番打者」の一人というイメージでしたが、阪神ではこの年欠くことのできないレギュラーでした。好結果をもたらした阪神移籍だったと言えるでしょう。

 桧山進次郎、新庄剛志の2人が20本塁打以上を記録。

 湯舟敏郎、藪恵市の左右エースも揃って2桁勝利。

 竹内昌也投手は終盤まで防御率1位を争い、最終的にはタイトルを逃しますが3.01と好成績。

 個人成績を見れば前年、前々年より上向きますが、62勝73敗1分の勝率.459で5位。

 優勝争いに絡むことなく1年を終わります。

 僕個人も1997年と言う年は大学4年生という人生の節目だったのに、だらしない過ごし方をしてしまったので、悔いが残っています。

 球団も一人の人間も、飛躍するには良い準備期間を経なければなりません。

 例えダメな年があっても、翌年に繋がるチャレンジをしていたら良かったのですが・・・さあ、翌1998年はどうだったのでしょうか・・・。
 

 

 


































































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