幸せな?思い込み
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こじっく
2010年07月31日 21:56 visibility125
僕は文芸春秋の「Number」が愛読誌なのですが、今年も甲子園特集を出して下さって感謝感謝です。
去年は「横浜」松坂大輔、今年は「PL」清原和博が表紙を飾りました。
最高!
額に入れて飾りたいぐらいです。
一時期は高校野球特集を久しく出さなかった時期もあって、「Number」は高校野球から離れたのかな・・・と寂しく思うこともありましたが、本当に良かった。
プロ野球に加え高校野球も楽しめるこの時期は至福の季節なのです。
さて、今でこそ、こうした記事を書いている僕ですが、僕は中学1年生までとんでもない思い込みをしていました。
それは・・・高校野球も、大学野球も、社会人野球も、プロ野球も、メジャーリーグも・・・・当時の軟球L号で試合をしていると思っていたのです。
L号、家にあって日曜日に父とキャッチボールする時に使ってました。
僕はL号の縫い目が白のものが「練習用」で、赤のものが「試合用」・・・と思い込んでいました。縫い目が赤い軟球なんてないのに・・・。
そして、軟式野球とは、今コンビニで120円ぐらいで売っているような軟球の模様の入ったゴム球でやる野球だと思い込んでいました。つまり、「安全」な野球だから「軟式」・・・・。
今思えば・・・ですが、僕は中学入学当初、隣の席の野球部の友達は授業が終わるとグランドで必死に金属バットでノックされたゴム球を追っている・・・と思っていたのですね。
それが、中学1年の夏休みに、雑誌の広告に革でできたような縫い目が糸のかっこいいボールを見て、ある疑惑が湧いてきました。
「ひょとして、これが高校野球やプロで使っている球なんじゃないか・・・・?」
しかし、恥ずかしくて友達に聞けません。
その疑惑は、日を追うごとに確信に変わって行きました。
そして、その確信が100%不動のものに変る日がやってきました。
中学2年になって間もないある日、学校の倉庫でついに、ついに、本物の硬球を拾ったのです。
革が擦り切れ、縫い目が破れ、泥を吸ってボロボロになっていましたが、僕は誰にも見つからないようにそれを持ち帰りました。
そして、ベッドに仰向けになって、天井にぶつけないように気をつけながら、そっと、大切に真上に投げてみました。
憧れの硬球・・・。
硬球を人生で初めて手にした時のときめきは忘れられません。
おそらく僕は自分が硬球を使って野球のゲームをすることは一生ないのでしょう。
でも、初めて硬球に触れた日の思い出は大切な大切なかけがえのないものなのです。
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