我的愛球史 第52話 「改革の秋」
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こじっく
2010年11月14日 19:04 visibility132
(写真と記事は関係ありません)
この日記で通算100冊です。でも、いつもどおりに淡々と綴りたいと思います。
・・・2001年の阪神について書こうとすると、どうしても淡々となってしまいます。
プリンス新庄剛志が去り、外野に開いた大きな穴を埋めるのは大きな課題でした。
しかし、入れ替わりで入団した細身の小柄な選手がその大きな代役を見事に務め、走塁面では前任の大スターを凌ぐ活躍を果たし、いつしか人気面でも負けないような球団の顔に成長したのです。
赤星憲広選手です。
赤星選手はその年の盗塁王と新人王に輝き、以後2000年代のタイガースを牽引する存在になって行きます。
しかし、赤星選手が奮闘しても、中軸が打てなくてはどうしようもありません。
野村監督の手腕でデイフェンス面が向上し、特に防御率が改善したこの年のタイガースが弱かったのは、貧打のせいであることは明白でした。
井川慶投手が192イニングも投げ、9勝し一気に台頭。
福原忍投手も前年に続き大車輪の活躍。
移籍してきた成本年秀選手も3勝1敗20セーブでカムバック賞を受賞。
その一方で藪恵市選手や川尻哲郎選手の不振は、投手陣の世代交代を印象付けました。
同じく世代交代を象徴する出来事として、長年巧打でチームを支えてきた和田豊選手も優勝への思いを吐露した感動的なスピーチを残し引退しました。
前年よりもチーム打撃成績が落ちた中で、チームが勝ち星を減らさず57勝(80敗3分)を挙げたのは僥倖・・・と言うのは言い過ぎでしょうか、3年連続の最下位ですから・・・。
しかし、この年のオールスター休みに野村監督が久万オーナーに説いたチームを変える根本的な戦力補強の必要性が翌年から大きく阪神を変えることになるのですから、全く無駄な1年ではなかったのです。
僕がこの年、最も勇気づけられたのは、タイガースの奮闘ではなく、夏の高校野球、滋賀県代表近江高校の決勝進出でした。
近江高校の勝ちパターンである竹内和也、島脇信也、清水信之介の3投手の継投は「3本の矢」と称され話題を呼びました。
最後、投打に戦力充実の日大三校に2-5で敗れますが、滋賀県勢初の準優勝は大いに讃えられました。
そして、野村監督が阪神での4年目のシーズンに向かってチームを鍛え挙げている最中に事件は起こりました・・・・。
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