我的愛球史 第37話 「Vの使者は去っていった」


 雪辱を期して臨む1993年がやってきました。

 阪神に移籍してきた松永浩美選手は、春のキャンプから、いや自主トレの時から溌溂としていました。

 スポーツ誌もそんな松永選手に好意的な記事を連発していました。

 松永選手は本当に闘志にあふれていたと思います。

 それは開幕戦での5安打という結果が証明しています(4安打だったかな・・・)。

 しかし、チームは仲田幸司を立てて大敗。

 いやな予感が漂います。

 そういえば開幕スタメンに新庄選手と亀山選手の名が・・・ないっ!!

 これがその年のタイガースの躓きの始まりだったのかもしれません。

 新庄選手はその頃、けがで2軍でした。

 亀山選手はスタメン登場した4月13日にいきなりのホームランと、相変わらずの勝負強さを見せますが、その肌寒い甲子園で悲劇が待っていました。

 松永選手がハッスルし過ぎたのかホームに滑り込んだときに負傷してしまったのです。

 翌日から5月9日まで欠場を余儀なくされます。

 その間、鮎川義文選手や山脇光治選手がサードを守りますが攻撃力の低下は否めません。

 エースの仲田幸司選手は一昨年までのような制球難に苦しみ、負けが続きます。

 パチョレック選手、八木裕選手といった主砲も精彩を欠いたままシーズンが進んで行きます。

 それでもこの時期にチームが崩壊しなかったのは、野手では和田豊選手、オマリー選手の昨シーズンを凌ぐ活躍や、湯舟敏郎選手、中込伸選手、猪俣隆選手といった先発陣が昨シーズンと同等の奮闘を見せてくれたからでしょう。

 5月10日には松永選手が復帰します。

 そして5月18日ついにプリンス新庄剛志選手がスタメンに。

 これで何とか戦う体制は整いました。

 なかなか大きな連勝はできませんが、しぶとく戦うタイガースが確立されて行きます。

 しかし、6月11日に甲子園のフィールドでダイビングキャッチを試みた亀山選手が骨折。

 打撃不振に苦しみながらも直向なプレーでチームを鼓舞し続けてきた亀山選手ですがその後戦列に戻ることはできませんでした。

 それでもタイガースは7月9日から甲子園での巨人戦に3連勝したのを皮切りに7連勝!

 大いにファンの期待は膨らみます。

 その後、大きな連勝はなかなかできませんが、8月20日からのヤクルト3連戦(神宮)では松永選手が3試合連続の先頭打者ホームラン。

 去年と違う攻撃的なタイガースを見せることはできたのでした。

 しかし、結果を言えばこのシーズンは63勝67敗2分。順位は2つ下がって4位。

 前年と勝ち負けが丁度逆になったことにファンの落胆は大きかったのです。

 選手個人成績を見ても不本意な1年に終わった選手が多かった。

 仲田幸司選手は1年通してローテーションを守りますが3勝12敗、防御率6.54。

 2年続けての大活躍とは行きませんでした。

 生え抜き長距離砲の八木裕選手が.235の9本塁打、47打点とパワーダウンしてしまったことも意外でした。

 パチョレック選手も昨年のような頼りになる打撃を見せられず8月末に帰国。

 オマリー選手が.329で首位打者になり、和田選手が161安打でリーグ最多安打を放ち、プリンス新庄選手が23本塁打を放っても、課題の長打不足すなわち得点力不足は補えませんでした。

 松永選手も.294、8本塁打、31打点と精一杯プレーしたのですが「Vの使者」になることはできませんでした。

 しかしながら、打力のある関川浩一捕手が89試合出場、後半戦で右翼手に定着した俊足の嶋田彰弘選手が翌年以降に希望を持たせてくれました。

 92年新人王久慈照嘉選手も2年目のジンクスに見舞われることなくレギュラーとして活躍。

 投手に目を向けても2年続けて弓長起浩選手が中継ぎでタフネスぶりを発揮。

 郭李建夫選手もオリンピックで見せた衝撃度からすると物足りないながらも5勝4敗2セーブと日本野球に適応を見せ、翌年が楽しみな存在に。

 と、言う訳で「ああ、今年はけが人に泣かされた。でも来年は優勝できそうな気がするなぁ」という感じでシーズンを終えることができたのです。

 しかし、シーズン終了後、僕らファンが怒りに震える出来事が・・・。

 書きませんよ、これ以上このことは(笑)。
 




















































































chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。