野球読書日記「俺たちのパシフィックリーグ 近鉄バファローズ1989」

 ドラマチックな近鉄バファローズの人気は高いのか、他の球団が「80`s」というような括りなのに近鉄は単年の取り上げ方で2冊です。もちろん両方買いました。

 本当に1989年のパリーグは最高に面白かった。

 10.19の雪辱を晴らすべく89年のシーズンに挑んだ近鉄でしたが、開幕ダッシュに成功したのは強力打線を誇るオリックスでした。「ブルーサンダーマシーン」は他の5球団の投手陣を打ち砕いて行きます。

 近鉄以上にスタートに躓いたのは前年度日本一の西武。プロ野球を見始めてから、初めて見る勝てない西武の姿に私はショックを受けました。特に明るい工藤公康投手がマウンドで苦悩する姿は印象的でした。

 しかし、王者西武もドラフト1位渡辺智男投手の台頭やシーズン中に入団したデストラーデ選手の活躍で盛り返して行きます。

 そして近鉄も投打が噛み合いオリックスを追い詰めて行きます。

 まさに三つ巴。

 縺れ合う3球団が一進一退の攻防を繰り広げます。

 そして運命の「10.12」。西武ライオンズ球場での西武・近鉄Wヘッダー。近鉄はブライアント選手の2試合に跨がる4打数連続ホームランの活躍もあり連勝。首位西武を沈めマジック2が点灯します。

 翌13日、オリックスがロッテに敗れマジックは1に。

 勢いに乗る近鉄は14日本拠地藤井寺球場でダイエーを下し、念願の優勝を果たすのでした。

 

 感動のリーグ優勝を果たした近鉄でしたが、巨人との日本シリーズは悲劇的でした。

 華々しい3連勝の後の4連敗。

 第7戦、チームの逆転を信じリリーフ待機していた大黒柱の阿波野秀幸投手の寂しそうな背中を今も思い出します。

 近鉄の一員として日本シリーズを戦い、この年で現役生活に終止符を打った淡口憲治さんの回想を引用させて頂きます。

 「 7戦目になったらもう、近鉄の選 手は浮き足立っていました。地に足がつ いていないというか、自分を見失った状 態でしたね。あのシリーズ、近鉄は最初 3連勝して、それを自信にできればよ かったんですが、それを通り越して相手 をナメた感じになってしまった。 それが 命取りになった。勝っていた3戦目まで 『なんでも来い』という、どっしりとし た心構えは第7戦ではなかったですね。 マイナス思考というか、『若さ』が出てし まったんです。3戦目に勝って、そこか らまた慎重にいけばいいのに、ナメてし まった。そこが『若さ』なんです」(91頁)

 

 私の近鉄バファローズのイメージは「未完成」。

 球団がオリックスに吸収される様な形で消えてしまうまで、日本一を勝ち取ることはできませんでした。

 そして、あの有名な猛牛のヘッドマークをデザインした岡本太郎さんが「日本一になったら公表する」と言われていた「猛牛」を横から見た姿は永遠に誰も見ることができなくなりました。

 しかし、人は皆、未完成のまま人生を終えます。人生の中で追うことができる可能性は無限どころか随分と狭いものかも知れません。

 だからこそ、一つのこと、一つのボールにかける人の生き様は心をうつのだと思います。

 近鉄バファローズよ、永遠なれ。

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