野球読書日記「Number1058・1059落合博満と野村克也」

  私は子供の頃から、学校の先生が道徳の時間等にして下さる「先生の学生時代の話」や「すごかった教え子の話」を聴くのが大好きでした。中学生ぐらいになるとテレビのトーク番組やラジオ番組のインタビューに夢中になりました。その時の心境は「人生がうまく行くコツを知ろう」というものでした。

 今、決して自分の人生は子供の頃に思い描いたものになっていません。しかし、他人の人生への興味は深まるばかりです。もはや、自分のことはともかく、普遍的な人生の法則探求に関心が移るばかりです。

 随分以前から野球は本当に人生そのものに似ているスポーツだと思わされ、著名な野球人の人生や言葉に心をとらわれてきました。

 中でも落合博満さんと野村克也さんは格別の存在です。「Number1058・1059 落合博満と野村克也」はまさに待望の一冊でした。

 落合さんや野村さんに限らず、本を出すために練り上げた言葉や、数多くの中から選び抜かれた発言はもちろん深い学びを授けてくれます。

 しかし、その人の本質が現れるのは日常の何気ない言葉や行動にあると思います。

 この一冊の中にも私が期待していたものが見つけられました。

 落合さんに関しては次の一文。社会人野球時代の落合さんを知る方からの証言です。

 

「そんな中で松尾の記憶に強く残っている のは、落合が社会人として自立していく姿 だ。ある日、松尾と落合が雑談をしている と、『経済力とは』という話題になった。 落合は『どれだけ貯えがあるかではなく、 持ち合わせを上手くやりくりできる力じゃ ないか』と言ったという。のちに落合は、 幸せな生活を『ゆとりのある貧乏』と表現 したが、そうした考え方は東芝府中時代に、 グラウンドではなく職場で育まれたようだ。」(44頁)

 

 落合さんの社会人野球時代の生活の実感から絞り出した素朴な考え方に共感を覚えます。そこには「プロ野球で三冠王を達成する」というような大望など見当たらず、自然体の落合さんの姿があるばかりに思えます。しかし「持ち合わせを上手くやりくり」という言葉には、後年監督に就任した時の戦略を連想させる片鱗を感じます。

 

 次に野村さんですが、私が挙げたいのは野村さんの阪神監督時代に二軍監督として仕えた岡田彰布さんの証言です。

 

「しかし、野村の言動を疑問に思ったこと もある。球団納会で隣の席に座ったとき、 野村は岡田に『二軍は選手にどういう教え 方をしとるんや』と聞いてきた。 『選手の 特長を生かし、いいところを伸ばすように しています』と岡田が説明すると、野村は言下に『それは間違いや』と否定。『二軍 ではまず選手の欠点を直せ』というのだ。 『野村さん、それっておかしいん違います かって、俺言うたよ。矛盾してますって。 そやろ? 一つしか秀でたものがない選手 を取ってるんやから、当然欠点なんかいっ ぱいあるわ。それやのに秀でたものを伸ば さんと、欠点のほうを先に直せっていうの が、俺には全然わからんかった』」(33頁)

 

 上記発言だけを切り取ると野村さんと岡田さんが育成方針をぶつけ合っているだけに思えますが、野村さんがチーム作りの方針として欠点はあっても一芸に秀でた選手を獲得することを実行した後のやりとりです。岡田さんの戸惑いにも頷けます。しかし、矛盾した発言の中に、否定の中から新しい真理を探そうとする姿勢が見えるように思えるのです。岡田さんにとってはいい迷惑だったかもしれませんが、野村さんは勝てない阪神の現状を直視し、これまでの自分を否定していたのではないでしょうか。もしかしたら、野村さんが若い頃から周辺ではこんなやり取りが繰り返されていたのかも知れません。

 

 落合さん、野村さん。この一冊のサブタイトルにも「似て非なる名将」の言葉が掲げられています。両者とも「理」や「知」を重んじ、緻密な守りの野球を選択し勝利を追求した指揮官。しかし、少なくともパブリックイメージとしては寡黙な落合さんに対し雄弁な野村さん。数多くの発言から裏付けられる「組織」と「個」に対する考え方の違い。

 野村さんはもはや文字どおり伝説の人になりましたが、落合さんは再び監督の職に着くことはあるのでしょうか。

 いずれにせよ、お二人の言葉を深くとらえて解析し、野球や人生そのものに落とし込む作業を繰り返す人はあとをたたないことでしょう。

 

 

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