マスク越しから見た野球と外野から見つめる野球
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虎男
2017年05月11日 11:03 visibility396
私は合計で何年草野球の捕手をしたのであろうか。おそらく6~7年くらいだろう。しかし、もう肩がやられてしまっていたから、一度も二盗をする走者を刺せないままで捕手を終えたことになる。捕手時代の野球と今、外野手として守備に就いている時の野球を見つめる目は違うであろうか。おそらくだが、捕手時代の経験が自分の見る野球に大きく影響していることは確かだ。それは、捕手目線を良く、「180度他の選手と違う位置からフィールドの隅々まで見渡し、捕手以外の全選手の動きが見える」と言うのだが、本当にそうであろうか。私にとっての捕手目線は未熟でもあったからだろうが、大半が投手と一塁走者の動きばかりが目に入って来たと言うのが正しい。
実際の試合で捕手が頭の中に組み立てをしなければならないのは配球だろう。草野球の場合、配球と言っても「投手のコントロールと持ち球」がなければ、「捕手のリードの冴え」で試合を切り盛りしたなんてことはめったに無いだろうし、私の今やっているレベルでは、なかなかリードどおりのピッチングをしてくれる投手がいないというのが現実だ。ただ、捕手をやっていた時には打者の足の立ち位置を見て、どんなボールを狙って来ているのか、そして、内外角への対角線の攻め。さらに緩急をつけてのクイック、クイック、スロー、その逆でスロー、クイック、スローとボールのスピードにも変化を持たせて、打者にしぼらせない工夫をしたものだ。だが、そのせいか迷いが試合中に生じることも少なくなかった。なぜなら、「ここで二球同じようなボールを続けると、打たれるかもしれない。」と言う考えと「もしかしたら打者の読みはこのボールだとしたら、それをはずしてこちらに投げさせるか」と言うことの自問自答がしばしばあり、相手チームのクリーンアップに対しては慎重になり、大きいのを避けると言う頭で外角低めのボールを要求することが傾向的に多かったような気がする。しかし、そうなって考えを巡らせながらの捕手目線と言うのは、狭い視野でしかフィールドは見えてこない。
外野手の目線であると、主にライトの守備にいるのだが、右打者より左者打者に対しての方が緊張感がある。引っ張られた時には必ずライト側に打球が来ると想定するからだ。だが、捕手の構えが距離があるためあまり良く見えないからかもしれないが、打者のバッターボックスの構えで守備位置を決めている。打席の後ろの方に立っているとみられる打者は、もしかたら逆方向のレフトへの流し打ちをしてくるかもしれないとの予測。前の方に立っている打者は変化球狙いで間が立派なを叩いて一二塁間を抜こうとする意図があるのかも。と言う予測をつけて守備位置を変えている。しかし、色々な精神的負担は捕手とは比較にならない。捕手は捕邪飛などが飛んで来てフライの性質も違うし、まずはマスクをはずす必要が出てくる。外野手にマスクは無いので、その分だけでも外野手と捕手では負担の違いがあると言えよう。ただ、外野手を守ると、かなり野球の点に絡んでくる打球が多いので責任が重いのは内野手以上だ。後ろにそらした瞬間にグラウンドによっては打者走者がホームへ生還すると言うことも考えられるわけで、これほど点にからむ守備と言うのは外野手ならではだろう。
外野手としは本当にど素人なのだが、これからも我が草野球チームのメンバーの出席如何ではライトの守備に入ることも多々考えられる。だが、捕手をやっていた時の捕手思考力があっての外野守備はプラスになっていると思う。今後も長く野球をやっていきたい。しかし、守備ほど経年劣化を感じるものは無い。
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