四球について
-
虎男
2017年07月03日 15:29 visibility184
昨日、チームメイトと車の中で、試合後の打撃の事について語った。その時に一番若いS君が「今日は打撃で何もチーム貢献してませんよ。」と切り出した。ゴロやフライばかりで、ヒットが無くてひどい成績だったと言う。そして彼の自己分析では「数試合出なかったので、やはり試合感覚が無くてボールを打ちに行ってしまって泳いだバッティングになってしまってました。」とのこと。ここまでの自己分析は良い。そして、私が前回のブログでも紹介したが「センター返しの勧め」を説くと頷きながらも、くやしそうな顔をしていたので「じゃあ、四球をどう考えるよ?」と彼に水の向けると「四球ですか?まあ、もうけものですね。」と言うが「打撃としては四球欲しさに打つのではなく、あくまでも振ってこその安打の可能性があるわけで、打席に入った時からの四球狙いはちょっと違うと思います。」正論だ。しかし、これがまだ私が思うに「若さゆえの余裕論」なんだと言える。
四球を打席に入った時から狙えとは言わない。しかし、投手がコントロールが定まらずにいるのに自分が打って塁に出られる確率と、あと1球ボールを見送るだけで「テイクワンベース」を勝ち取るのに、どちらがリスクが少ないのか。四球は「生きて塁に出た証」であり、「安打」と何が違うのか?私は同じだと考えている。なぜなら、出塁率が上がるわけで、そして打数は増えない。しかも、自分が塁に出たことによって、投手がワインドアップからセットポジションにならざるを得ない状況を作り上げたわけだから、四球を「チーム貢献」であると言わずして、なんと言うのだろう。しかも、四球は最低4球ボール球を投げさせているわけで、投手の投球数を増やす上での貢献は大なのだ。四球をおろそかにするチームは勝てない。なぜなら、四球は相手にとっては「無駄に投げた球の結果」であり、それを背負う投手は、さらに負担が増えると言う事は忘れてはいけない。
四球、二盗、三盗、悪送球で昨日の私のチームの決勝点は入った。次の打者が何もしないうちに快足を飛ばして帰って来た選手がいる。彼のこの四球出塁が無ければ、うちは勝っていなかったかもしれない。それほど四球1個が作り出す「可能性」を考えたら、恐ろしいことになる。四球が選べると言う事は選球眼があると言う事であるし、四球を選べることは、安打を打てる可能性が上がることでもある。単にぼーっと立っているだけで四球を選べるわけじゃあないのだ。むしろ、安打同様に四球を選択することも難しいのだと肝に命じておく必要がある。
-
navigate_before 前の記事
楽しみ追求型チームであっても勝利は格別
2017年7月3日 -
次の記事 navigate_next
大人になったからこそ、大人になりたくない時間が草野球だ。
2017年7月3日
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件