若い人たちから学べること。感謝できること。

  • 虎男
    2017年08月29日 00:47 visibility751

私のチームには、今学歴優秀者が2人ほどいる。だから何だの世界だろうが、私は別に一目を彼らにおいていることは何もない。しかし、こういった彼らの私に接して来る部分での「共通点」がある。言葉使いが「綺麗」なのだ。長幼の序と言う部分でも、申し分ない。私は学歴にひるむタイプじゃあない。何しろ私の妻は日本の東京大学よりランクが上の大学卒で、私は三流大学卒なのだから、普通の日本人の感覚ならば「レベルが違いすぎる」なんて思って引いちゃう人が大半なのではないだろうか。学歴=人格ではない。ただ、私が学歴に対して思う事は、その学校で勉強をしていたことは、その学校のカリキュラムをきちんと履修し、そして卒業を認められたこと。それには敬意を表していること。中退したら、それはその部分だけのことだが、卒業は立派な達成であると思っている。

 

なぜだかは知らないが、彼ら2人はチームの他のメンバーに対してもマナーが良い。彼らのマナーの良さがメンバー全員に波及していくことが、ものすごく理想的であり、そうなって欲しいと思う次第であるが、二週間に一度の活動では、そう簡単に波及するわけがない。しかし、同じユニフォームに身をまとっていても、その人たちがもつ人生感や過去に生きて来た「生きざま」が知らないうちにユニフォームの外へ出てしまうのは非常に面白い。それが個性であって、そしてぬぐい切れないものなのだろう。だが、野球をやっている中で「あまりにも関係ない学歴」に意識が行くようでは、チーム管理運営者として望ましい姿ではない。それよりも、チームのメンバーが学校卒業後どういう人生を歩んで来たかの方が、よほどその者の人格を見測る上での物差しになるのではないだろうか。チャレンジ精神があるのか。ユーモアがあるのか。そして人間的な幅やチームメンバーをまとめるうえでの資質など、彼らをよく観察すると同じ競技をやっているからこそ、すぐに性格がわかってくる。

 

高校の文武両道が良く言われる。文に長けた学校が武に優れた学校に歯が立たないと思っている人たちは、とくにこの国には多いように感じる。本当にそうであろうか?私は、その辺断定ができないが、昔、進学校であり公立高校であった「国立高校」が甲子園に初出場した時のことを思い出すと、その頃から「文武両道高」へのあこがれは凄いものがあるように感じた。公立校で進学校、そこに憧れるのは良い。だが、その高校が甲子園に行き、その甲子園で投げた投手が、さらに神宮を舞台にする東京六大学野球の東京大学の投手になりって言う「シンデレラ」のようなサクセスストーリーを、誰もができることではないと羨むのは仕方がないことなのではないかなと最近思うようになった。それだけの実力を頭も肉体的技術も持っている人たちが世の中にはいるのだ。それをきちんと評価できることの素晴らしさを持っていたいのは「当たり前の話」だと私は思う。

 

何が言いたいのかと言うと、良いことは良いと言える素直さ。そし自分のできないこと、できなかったことを卑下する必要が無いと言うこと。できた人を褒める事。そして、今の自分の人生に満足をすること。そして、何か人のできないことを自分が継続してやっていること。それらに自信を持ってやっていける気持ちを作り上げる事。良い過去を持った人たちから、学ぶことは本当に多い。羨むだけではなく、それを褒めて、自分のできることに対して全力でチャレンジしていくこと。それが、学ぶと言う姿勢なのではないだろうか。年齢が若くても見本にしたい人たちはたくさんいる。その人たちから、良い物をもらえることの感謝はいつも新しさに触れるような感動がある。それを常に吸収したいものである。

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