「頭で走る盗塁論」を読んで。

  • 虎男
    2017年09月04日 20:23 visibility349

 

元阪神タイガース外野手の赤星憲広氏の著作を読んだ。読んだあとにネットでこの本を読んだ人たちの本の感想を読んだが、私と同じ考え方の人は誰一人いなかった。こういう元選手や現役選手が書いた技術や精神面での部分を中心に書いた本は「キーワード」が必ずある。それは、タイトルには書かれていない。なぜなら、タイトルに「生々しい本音」を書くスポーツマンはいないと言う事だ。だが、この本のサブタイトルに「駆け引きという名の心理戦」と綺麗に書かれているのが表紙に見える。いかにも理論があって、おそらく他の人たちはここまで掘り下げて「盗塁を語った書物は無い」と自信を持っているから書けるのであろう。私は、この表紙のサブタイトルが「キーワードにもっとも近いもの」だと読後感じた。

 

この本で赤星氏が何を言いたかったのか、それは、どのポジションにおいても相手チームをいらだたせ、正常心でいられなくするための「策」を練る。そして、相手を研究し、相手の動作や癖を真似られるほど自分の脳裏に焼き付け、それを自分のデータとして活用していく。それが「プロ」で生きながらえて行くための「仕事への工夫」だと言っている。そして、ある時には「策に溺れるなかれ、策を仕掛けても途中で止める勇気も必要である。」と。辞める勇気にまで言及しているのだ。過去の韋駄天走者であれば、そのことはおそらく「書いたらまずい」となったであろう。理由は、二盗を試みたが途中で投手とのリズムやスタートを切った時の走り出しの感覚がいつもと違うとなれば、そこで無闇にアウトを一つ献上する可能性の高いことをする必要は無いと言う事らしい。だが、彼ほどの走塁能力を持った人間だから、勇気をもって途中で止めることを提唱できるのだろうが、普通の凡プレイヤーにそんな高騰テクニックができるわけがない。

 

さて、この本のキーワードを私なりに見つけた。それは「野球は騙しあい」と言う言葉だ。彼がこの本で本当に言いたかったのは「ルールの中で、いかに相手を騙すかが野球であり、相手がいらだつほどの選手になればプロで飯は食っていける」と言いたかったのだろう。もちろん、本を書いたことで自分の盗塁や一番打者の試合における価値の高さや、盗塁が簡単にはできるものではないことを理論を持って出版したことで「新しい分野の野球」を印象付けたのは立派だと思うが、こういう本はむしろ、誰の影響があったかの匂いがぷんぷんするのも確かで、野村克也元阪神監督の考え方にもよく似ていると私はすぐに感じたものだ。なぜなら、盗塁を語るには「一塁走者目線」で物を語らなければ、読者が想像ができないし、そして簡単にイメージしてもらえない。この赤星氏の本の中でも野村氏の「捕手目線」での考え方を阪神入団時のミーティングで聞いていたのも「かなりの影響」を受けていると感じた。

 

野村氏の考え方と似ているのは、相手投手や捕手の癖を徹底的に覚えること、球場が走りやすい球場なのか否かを頭に入れ、二遊間の選手の動き、今入っている打者が右打者なのか左打者なのか。アウトカウントや、一塁手の守備の上手下手を見極めて、タイミングが良しと思ったら躊躇せず二盗を試みる。ただ、そこにはリスクも伴う事と、失敗した場合のチームへの影響の大きさまでがリアルに描かれている。

 

「野球はルールに沿った上での騙しあい」である以上、だますと言うスリリングでリスキーな感覚に溺れてしまう選手もいるだろう。だが、結局は「勝利のため」に「走る」ことを基本にするのであって、自分の盗塁数を増やすための「自己満足」に終わっては「意味が無い」と述べている。勝ちに結び付けて行く走塁を心がけて行くこと。これには、多くの自己犠牲が赤星氏の周りの選手、とくに彼のすぐ後ろを打っていた二番打者関本健太郎選手の存在が無くては、この本もきちんと書けて完結していたかどうか。「野球はルールに沿った上での騙しあい」であることを忘れないで読んで欲しい一冊である。

sell野球

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。