私の読書
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虎男
2017年09月25日 14:41 visibility247
私の親が某大出版社の社員だったこともあり、子供のころから家じゅうに本があふれるほどあった。私にとってはそれが普通の生活であり、本の無い生活は考えられないような子供時代だったのである。私が小学校二年生の時だった。姉は二歳上で小学校4年生。家はとある東京23区内の一軒家で、4人家族の末っ子が私だった。その二年生だったころ、私は野球を始めて二年目の年だった。あまり家にいて本ばかり読むことに飽きて来た頃だったと言える。しょっちゅう野球をやりに、外へ友達と一緒にでかけていく元気の良い少年だった。ある雨が降っている日だった。私の姉のクラスメートでO君と言う少年が、私の家を訪ねて来た。昭和40年代である。門を開け、玄関の木製の引き戸を開け、黙って上がり込み、二階へ続く階段を猫のように音も無く上がっていくのだ。そして、当時下宿屋をしていたので二階には四畳半の部屋が6っつあり、階下には台所、共同トイレ、下宿人の部屋1つ、そして我々家族の部屋が2つ、風呂場は外に増築した家だった。ボロ屋ではあったが、東京に一軒家を構えるってことは、それなりの給料が無ければ維持できないと良くお袋がいってたっけ。まあ、余談である。そのO君、二階の真ん中の我々姉弟が「本を置いておくための部屋」に静かに侵入、目的は「少年サンデーの最新号」と「少女コミックの最新号」そして、他に山のように置かれていた百科事典や、童話の本や偉人の伝記本などを午後4時半近くまで黙って読んで、そしてそれが終わると黙って静かに家路につく。昔は他人の家にあがってくる近所の少年少女なんて沢山いたものだ。しかも、うちの母は、そのO君にお菓子やジュースなどをおやつにふるまってあげていたから、いたれりつくせりだったわけだ。だが、今になって思うと、私の姉や私がO君の家に行ったことなど全くなかったので、随分「搾取された」のではないかと思ったりもしたものだ。(’笑)
さて、私が高校大学と読み漁っていたのは日本の文豪と言われる夏目漱石、森鴎外、有島武郎、井伏鱒二、二葉亭四迷、太宰治、三島由紀夫、川端康成など、そしてその後、星新一などのショートショートなども結構読み漁っていた。だが、恐怖物やサスペンスなどには興味も無かったので、ほとんど読まないし、あとはハウツー本や啓もう書籍を読むことが多かった。だが、今はどうだろう。草野球を13年前に始めてからと言うもの、私は読む本は全て野球の本である。野球に関連する書籍、雑誌以外に興味を持たない。そして、野球に関する知識を得ることで他のことの多くは昔読んだ本の知識が頭の中にあるので、いちいち自分の今に興味が無いものを蓄える必要が無いと思っている。もちろん、情報は煩雑しているし、それを選ぶのは自分の自由であり、そして他人様と話をする上での引き出しとしたい人たちはたくさんいるだろう。しかし、私は本当に興味の無いことの浅い知識を持つことなど、自分が人生の後半戦の入り口に来ているのに、つまらない本を読んだところで身につくものじゃあないとおもっている。良くセミナーなんかへ行って「啓発や気付き」を受けて来たって言う人たちがいるが、そういう人達の多くが「自分の進む道がわからず、やみくもに今悩んでいる。だけど、誰かに教えを請いたいって思っているからこそ、高い金まで出して「偉いと思っている先生」に「教えを授かりに行きたい」と思うのだろう。それはそれで良い。だけど、私は、そういういつまでも他人様からの教えをありがたくあがめるような必要は無いと考えているので、もうここまで生きて来たのだから「好きな物、好きな本を読み、それについての研究する時間」が自分には必要で、わざわざ出かけて行って先生に教えをいただき、それに対してありがたく感じる必要は全くないと思っているのである。簡単に言うと金が無いし、家で座って本を読んでいるよりは、外に出てバットスイングしたり、キャッチボールをすることの方が数倍も価値があると考えているってことだ。
野球の本はたくさん持っている。おそらくだが300冊以上の野球関係の本を所有しているのは間違いない。だが、それを1ページから全てを読んだかと言うと、そんなことはない。けっこう斜め読みしたり、自分に必要なところを二度読みしたりして、好きな読み方をしている。だが、やはり一番大事なのは、野球を実際にやっている人たちの意見だ。良く野球の研究者が沢山著書を書いているが、私はあまり評価していない。理由は、筋肉の動きがなんとか運動して、こちらの筋肉に対してスプリングが収縮するような状態になって、なんちゃら回転して・・・」私から言わせれば「単語武装」しているだけだ。私は英国で英語を習って来た、その時の英語学校のイギリス人教師がこう言っていたのをいまだに記憶している「教える側は相手に対して最も簡単な言葉で内容の詳細を伝えなければならない。それに費やす準備はものすごい時間がかかるが、その時間をかけて、自分の言葉で自分が理解して、相手に伝えるための簡単な単語を、さらに身近な文章で知らせる事の重要さは、教師なら授業をする前の努力をしたか、しないかがすぐに、その授業でわかってしまう。」と。
だから、私はいろいろな野球の技術関連書を読む時はブックオフへ行って、少し立ち読してから購入するかどうかを考える。なぜなら、闇雲に野球の技術書をありがたがっても、自分の考えている動体と言う部分において、その技術があっているかどうかは簡単にはわからない。しかし、文体が優しい言葉でわかりやすく書かれている技術書には、それだけの「説得性」があるのだ。そういう本を今後も読んでいきたいし、私のスタンスは「絶対に本の中の全てに対してありがたがらない。理由は、それらが自分に合っているかどうかは検証してみなければわからないから」と言うスタンスを継続して行くつもりだからだ。本を読むのは大切だ。だが、本に飲み込まれないで、本を疑いつつも、自己検証する時間を設ける事。これがものすごく大切だと思っている。
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