元酔っ払いが冷静に見た酔っ払いの姿の滑稽さ
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虎男
2017年12月20日 08:37 visibility1416
私は、19歳になってから酒を飲み始めた人間である。そして今日までの人生で3度目の禁酒、いや今は「断酒」と思って酒を口にしていない。その理由は約2年半前に痛風を発症してしまったからだ。その痛風の痛みを今一度味わえと言われたら、酒を飲まないことなど楽なものだ。世の中には、痛風くらいで酒が辞められるかと息巻く人たちも大勢いる。しかし、自分の人生の先が見えてきている50代後半の人間に、体に少しでもよく、そして体を動かせる状態にしておくことが、自分の好きなスポーツ活動が継続できると言うのであれば、私は体を動かせる、そして痛みが極力出ない努力をする方を取る人間だ。昨日も忘年会の場に出席をしなくてはならなかったが、ふと思ったのは「元大酒飲み」が見た酔っ払いたちの滑稽さである。
酒のみだったからこそ、酔っ払いの奇妙さに下戸の人たちよりも敏感になるのかもしれない。しかし、面白いのは酔っている人たちの会話って「同じ単語」が幾度となく出てくるのだ。それが「酔っている証拠」なのであろうが、これを聞いている側の人たち、素面の人たちにしてみたら「たまったもんじゃあない」と言う人も確実にいるだろう。何しろ、3分前に言ってた話が2度同じように出てくるのだから。昨日の忘年会でもこちらはウーロン茶だけのオーダーで、酒は一滴も体の中に入れてない。飲んでいる人たちを羨ましいとも感じない。だが、客観的にみて、酒を飲む姿と言うのは「格好の良いもの」とは到底思えないのが正直なところ。私は、この「酔うための薬におぼれていた」のだとそう思った。もちろん、楽しいお酒もたくさんあった。それは否定しない。実際に飲んでいたことに後悔はない。しかし、おそらくメルセデスベンツが購入できるくらいは飲んでいるのだろう。ふと思ったら、人間とは何かに依存しなければ生きていけない動物なのかもしれない。どうせ依存するなら健康的な体を維持するための事をして、ただ長生きをするのではなく「老化に抗いながら動かせる身体を長く継続させる努力」を意識として持つことが、スポーツマン本来の姿なのではないだろうか。そこに酒を浴びるような選択肢は無い。
酒のみを糾弾しているのではない。選択肢は人それぞれである。だが、酒を飲みたくない人に強要するべきではない。今、若者たちのコミュニケーション離れが言われている。上司と酒を飲みに行く理由がないと言う。飲みにケーションは前近代的なものなのか。私には答えが無い。理由は、若い人間とのコミュニケーションの場が悪さん無いからだ。職場にもない。職場以外の場所なら、若い人たちの交流を私は持っている。大学の自分の部の後輩たちの練習を見に行く機会がある。武道の部活は「先達が作り上げた」と言う意識が強い。だからOBの自分が、出かけて行くのは「単なる現役生への応援」ではなく、心がこもったものでありたいと常に思っている。だが、酒の場は彼らとは無い。やはり段々と酒離れが進んでいるのかもしれない。
酔っぱらう感覚を既に忘れかけているのかもしれない。でも、できれば野球で酔いたい。酒無しで。
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