昔のLabola野球に見た「文明開化現象」
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虎男
2018年12月08日 12:29 visibility350
私もここでは古株になっているが、10年前のラボーラの野球ブログというか、当時は「日記」と言われていた。この頃の日記は、おそらくだが日記と言うより「連絡掲示板」のようなものだった。そしてインターネットのコミュニケーションツールの最初に必ず起こる現象、これを私は「文明開化現象と命名したい。理由は、今の若者がどうSNSに対して反応しているのかは知る由もないが、今から25年くらいまえにはインターネットは日本ではブラウザー自体がちゃちい、ネットスケープなどが主流で「閲覧中心」の物しかなかったといえる。そこから、こんどはチャット形式のようなページが出てくると、友達を作るのに困窮していたような人間がチャットページに毎日と言ってよいほど群がるようになった。しかも日本人に一番適していた「匿名性」でのコミュニケーションだから、深く付き合うことも無く、別に場所を移動することも無くと言う便利さで人気は大爆発状態で一時はパンクしそうなほど人が来たのが「チャットページ」だった。その時に「オフ会」などが頻繁に開かれ「いつも字だけでコミュニケーションしているが、本人はどういう人物なのだろう。見て見たい。」と言う好奇心にかられた人たちが、オフ会へ行く流れができて、これもまた盛況になった。そして、さらにエスカレートして「旅も一緒にやってしまおう」という一石二鳥を追いかける人たちが関東在住者が関西へ。関西在住者が関東へと言う形が増えて来て、盛り上がり方が最高潮を迎えるのだが、そういうのは一過性でいつかはしぼむのがSNSコミュニケーションの必然性だった
ここでの野球SNSの最初の頃も同じパターンだった。東京で、草野球愛好者が小さなオフ会を催し、それが良かったと写真と説明をアップロードして、その楽しそうな会話や飲み会の様子が他の草野球愛好者達が見ると、またたくまに「関東草野球オフ会」ができあがり、グラウンドを確保して、メンバーをSNS内で募り、野球の試合をした後に飲み会へと流れて行く。そのようなことが東京でも大阪でも頻繁に行われ、行われた後には誰ともなく、ここの野球日記に「どれだけ面白かったか。どれだけの人間が集ったのか。飲み会がどう面白かったのか」と言う、ここだけの「野球ワールド」が展開されていたのが記憶にある。私はそれを否定はしない。むしろ、そういう時代の中に自分がいたことで「幸運」だったなと感じている一人である。だが、栄枯盛衰と言うように「長くそういう時間は続かない」のである。それは熱に浮かされた人たちが現実に目を覚ますような形に必ずなるからだ。
どうして今のようにブログを書きたいと思うような人たちだけが残ったかと言うと「盛り上げ屋」的な「音頭をとる人間、リーダー」がいなくなったからだと言える。面倒なことを厭わずに、連絡を取り、グラウンドを確保してまでやってくれるような人がいなくなってしまったからだ。裏方さんの仕事ができる人たちはたくさんいない。改めて敬意を表したい。あえて名前は出さないが、皆の脳裏に浮かぶ名前は誰だか必ずわかっているはずだ。
今後のこのブログの場は、おそらくこれ以上の発展は無いだろうと推測する。そして、その代わりブログを書きたい人たちだけの集まりになるのは確かだ。日記を書くのは嫌だけど、SNSの仲間に忘れられたくないから、ここに書き記しておこうと言うような人たちは、あえてブログを書こうとは思わないだろう。昔のお祭り騒ぎが消えて沈静化したこの場所で野球をこれからも語って行こうと思っている。
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