自分を表現するために


公私共に忙しかった1週間で、日記も1週間ぶりに更新です。


先日まで、私事の回想録を記載させて頂きました。

私がサッカーを今まで続けている理由を、今週は考えさせられる1週間でした。

と言うのは、息子がやっていたサッカー。

それを辞めさせる事にしました。


辞めさせるに当たっては、親として色々考えました。考え出して1年は経ったと思いますし、本人に忠告して半年ほどあったと思います。

まだ小学3年生であることも当然頭にはありましたが、このまま続けて何か得られるのか。


それは本人の意識が1番ですが、その環境も少なからず影響があります。

本人が「友達がいるから」と、初めて自分から何か「習い事」をしたいと言い出したのがちょうど2年前でした。それがサッカーでした。

父親として、自分がしているスポーツを、きっかけはどうあれ始めてくれる事が嬉しかったです。別に上手くなってもらいたいとか、将来プロ選手になってもらいたいとか、そんな事はありませんでしたが、私がサッカーを通じて学んだ事を少しでも感じてくれたら・・・、そういう思いはありました。


しかし、クラブの運営、指導理念も不明確な中、子供も何を目標にしたらいいかなど分かるわけも無く、ただ親として「自分が好きで始めた事に一生懸命になる」ことを伝えてきました。

親の力など微々たるものです。1番は本人の意識です。

練習も、試合も、自分の全力を出さず、ただサッカーをしている。

ヘタクソと言われ、悔しいからと夕方ボールを蹴るも3日坊主。


なぜサッカーをしているのかの問いに、「楽しいから」

そうです、以前私が日記に記述したそのままです。年齢的にはまだ「楽しい」だけで十分なのですが。


楽しいのに一生懸命なれない事なんてあるのかな?

なぜ楽しいと思えるのかな?

自分が得意だから? 友達がたくさんいるから?

どんな理由であろうと、楽しいと思える事に一生懸命になれない事が不思議でした。


楽しいと思えるって何なんでしょう?

結局は「自己表現」できるかどうかなんではないでしょうか。

何かをしている時、1番自分を表現できる場所が「楽しい」と思えるんじゃないでしょうか。

自己主張の強い人、自己表現は苦手でも協調性のある人、でもスポーツの中では自己表現できる場面はいくらでもあります。


私がサッカーを続けてこれた理由。

それは、サッカーをしている時が1番自分らしいからではないかと思いました。

若い頃は、ゴリゴリのドリブラーでした。でも社会人になり年齢を重ね、組織の重要さ、周りとのコミュニケーション、仲間のフォロー。それと同時にサッカーのスタイルも変わって行ったように、その時の自分がサッカーのプレースタイルに反映されている感じがします。


遠慮なく自分を表現できるスポーツの中で、自分の存在意義を示すためには、やはり「全力」でやらなくてはいけないし、やろうという意欲が自然と出るはずだと思います。


好きな事を一生懸命できるのは、自分を表現できる最良の場であるからではないでしょうか。

そして自分を表現するために、持っている力を惜し気もなく出し切る事で、1つの事に情熱を注ぐ事の有意義を学び、それが社会に出た時の自分の糧となるんじゃないでしょうか。


まだ親として今回の判断を悩んでいます。息子の好きな物を奪ったのではないかと。 


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