15秒
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DIME
2009年03月01日 23:37 visibility84
とりあえず今日見ていて感じたのは、15秒に引っかかってるかどうかは明らかに個人差があるって事。
昨日もそこは一応気にしてはいたけど、ちゃんと時計みていた今日で言うと、バーンサイドや渡辺は○。
興味深いのは松坂も○だったこと、相当テンポ早かった。松坂がそうなってるって事はやはり個人レベルで対応可能な問題なんじゃないのって気がする。できてる投手はできてるって傾向を強く感じる。
受け取って投げる意外の作業を組み込むには短すぎる気はするけどね。首ふれないってのは確かかもしれない。
この件で気になるのは、スポーツにおけるルールってのは何なのか、って所がなんか微妙に蔑ろにされてる気がする点。
現代スポーツってのは、明文化された客観的なルールがあって、その先に成立するもの。ルールってのはスポーツの大前提。
新しいルールが自分たちがやってきたスタイルに合わない、今までのそのスポーツのスタイルに反する。だからルールが間違ってる、ってのは考え方として根本的におかしい。
ちょうどスキージャンプやっているけどさ、ルールが変わって板の長さの制限が変わった時、そのルール改正はおかしいから自分だけ旧ルールに従いますってのは反則にしかならない。
スポーツってのは客観的で統一されたルールへの見解の共有を前提としなきゃ成立しない。国も民族も違う場所で「同じモノ」にならない。
ラリーポイント制になったバレーボールは、その前のバレーボールとは別物かもしれないよ。私は別物に見える。でも今はあれがバレーボールだし、正当な変更を経た以上、20年前のバレーボールも今のバレーボールも「同じ」バレーボールでもある。
スポーツのルールってのはそういうものだってこと。スポーツの「同一性」っていうのは「不変である」こととは違う。
道策さんも書かれたりするけど、野球ってのは幸か不幸か非常にルール上の変化が少なかったスポーツ。だから、選手にしろファンにしろ誤解しやすいのだと思うけど、スタイルはルールの先にはきません。そしてルールは可変です。
野球って定型がそこにあって、それをルールで包んでスポーツとして成立してる。んじゃあなくて、ルールって定型があってその中に展開することで野球というスポーツは成立する。
ルールに対して、自分たちの慣れ親しんだものにあわないから、ルールに対して疑義を唱えるってのは傲慢だし、スポーツってものの根本をゆるがせにする考え方。
野球とは間のスポーツであり、そこは独自の面白さを作っているポイントだという意見には心から賛成する。それを損ないかねないって意見にも賛同する。
でもルールとして定義された以上、それに従うってのがスポーツとしての当たり前の事だって事は認識されるべき。
どうもプロ野球って世界はこういう所を蔑ろにしがち、軽視しがち。変えてはみたけど実情にあわなきゃ実情を優先する。そんな「なあなあ」ですませちゃってき。それはいま日本の野球が異質化しちゃって世界の中で浮いてるって状況を招く一因じゃないの。
野球が野球であるためには、公認野球規則が尊重されなければならない。それを厳格に用いないことが面白みを生み出していたのが事実だとしても実際それが面白くても、その面白さは忌み子。
ラリーポイント制にしたことで失った面白さはあるはず、でもラリーポイントが間違ってるって事ではない。マイナスが全くない変化はない。マイナスの存在で変化を否定していたら、なんの変化もできなくなるよ。
それが本当に必要不可欠だと思うなら、公認野球規則の方を変えなきゃね、それがスポーツのルールってもの。ルールは可変である以上、それで良いんだよね、変えちゃっていいのよ。
ま、野球の場合はシステム上そう簡単に変えられなくて(変えるフォーマットがしっかり定まってない)、実際の運用では規則と乖離した事も行われてきたって実情もあるんだけどさ。
ってかさぁこの問題で公認野球規則の方をちゃんと認識してる人はどんだけいるのかね。ま、疑義が色々でた後にフォローがあったみたいだから今は認識広がってるのかもしれないけど。
15秒ルールってのは公認野球規則の尊重を目的としているだけ。ルールの変更ではなくルールの尊重。批判する前にそこはわかっていようよ。
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