スーパーボウルと戦力均衡。
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DIME
2008年02月04日 15:09 visibility610
パーフェクトシーズンならなかったか。明らかにいつものブレイディじゃなかったな、1試合であんなにミススローをするブレイディははじめて見たかも知れない。
イーライも一気に伸びてきたなぁ、昨年と今年のレギュラーシーズンを見る限り順調に育ってはいるけどまだ数シーズンはかかるだろうと思っていたのだけれど。
PATSの攻撃ライン陣がうまく機能せず、近年のスーパーボウルでは珍しいぐらい崩れていたけど(レイブンズとかバッカニアーズのときぐらいかな、それでもLBの活躍がメインでライン同士でこれだけ差がつくのはあんまり覚えてないけど)、収益均衡施策の行われている中で、お金をかけられる優先順位を決めていったら今のメンバー構成ではラインがどうしてももろくなるのは避けられず、むしろ良くやっていたほうなのだから今日の試合で非難するのは違うだろうと思う、ここまで良くやったよ。
来シーズン、PATSが今年並みの戦力を維持できる可能性はほぼゼロだろうし、この後またこの「夢」がいつ出現するかはわからないけど、ここまで夢を続けてくれたことだけでも十分楽しいシーズンでした。
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で、やっぱり個人的にはこうやって「戦力均衡がなされている世界、スポーツリーグ」と言うのはどうしても違和感を感じてしまう。
言ってしまえば「作られた箱庭」の中で「均一化された栽培手法」で「土の量から樹の長さ、枝ぶり、日照量」までを制限して作られた果実の優劣を競っているように感じてしまう、それは本当に至高の果実なの?それは本当に「最強」なの?スポーツなの?
そもそも戦力が均衡するということを受け入れてしまっているのは優劣を争うという「スポーツ」そのものの根源的な所を蔑ろにしているのではないのですか。
なのに何故多くの人が特に「繁栄の為にはしょうがないのだ」でそれを許容してしまえるのかが理解できません、まったくわからない。
私にはそれは強烈なまでの違和感で、その程度の理由で許容できるようなものでは到底ありません。生理的な嫌悪感とさえ言って良いでしょうか、なんか濡れたこんにゃくを思いっきり踏みしめたような感覚がします。
NHK(BS)で解説していた河口正史氏は「ここでペイトリオッツがパーフェクトシーズンを達成してしまうと、戦力均衡と言う施策で発展してきたNFLにおいて“問題”をさらけだすことになりかねない、なので最後にそれが止められたのが良かった」(録画してたわけでもないので文意だけ表現しています、正確ではないかも)というような考えを述べていられました。
けれど私はこのペイトリオッツの快進撃に対してまったく逆のことを考えていました、これは前にも書いたと思うけれど、このペイトリオッツの快進撃によって収益均衡モデルの限界と、そのビジネスモデルが抱える歪みをさらしてほしいって考え。
そういう意味でもペイトリオッツがパーフェクトシーズンを達成できなかったのは非常に残念です。
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いつも言っていることですが、「収益均衡がスポーツリーグ発展の絶対の条件」なのかということをしっかり考えることなく「そういうもんだから」として深く考えることもなく「論理の前提」とされ、全ての論理が進み始めている気がしてなりません。
今回のペイトリオッツの全勝街道にしてもそう。これだけの頭抜けた力、突出したチームの発現が、サイマル放送という今まであった枠をぶち破るような大きなうねり(サイマル放送とは何かについては鈴木氏のブログなどを参考にしてください リンクその2)と経済効果をもたらしたのではないのですか。サイマル放送を決断しなければならないほどの社会現象になったということではないのでしょうか。
もちろんそれによってマイナスの部分も出たでしょう。しかしそれはそもそも戦力均衡の名の下に行われている歪みを前提としたものであり、歪んでいる前提でのビジネスモデルとして存在していた部分に無理が出ただけではないのでしょうか。
私はアメリカにいないので良く分からないですけど、今回のペイトリオッツの快進撃と言うのはアメリカ社会全体にNFL離れを引き起こしたのでしょうか、NFLの露出が下がったのでしょうか、こちらから見ていた限りではりそうとは思えないのですけれど。
ロシアのオイルマネーという、チェルシーFCという、それまでの資金力格差が子供のおもちゃのように思えるほどの資金力を持った球団が発生したことはプレミアリーグの衰退を招いているのか、私には決してそうとは思えません。
リーグ全体が欧州各国リーグの中でももっとも資金力を持ったリーグとなり、それに伴ってリーグ全体の収入・露出度も増加し発展しているように見えます。
早稲田が復権し、早稲田という圧倒的な力を持った王者が君臨しているここ数年の大学ラグビーは、人気が下がっているでしょうか、観客が減っているでしょうか、その露出度が減ってるでしょうか、テレビで紹介されたり特集組まれたりとかされなくなってますか、全部逆でしょう、上がってるし、増えてる。
個人競技にしたってそう、むしろ個人競技であれば「戦力均衡」なんて言う事は八百長でもしなければ出来ないのですから、「戦力均衡」はやろうと思っても出来ません。
ではタイガー・ウッズの出現がPGAツアーを崩壊させたのか、現在フェデラーと言う“王”の君臨するテニス界はファンにそっぽを向かれたのか。結果はまったく逆でしょう。
もちろん、個人競技とチーム競技では違うという意見もあるかもしれません。ただそう考える人には聞きたい、その違いとは具体的になんなのですかと。
もちろん「競技者人数」は明らかに違います、しかし「競技者人数の違い」と「収益均衡政策の正当性」、この2つに論理的につながりを求められるか、少なくとも私はそこに解答を求められなかったし今も求められていない、また解答を見たことも無い。
「違いがある」事だけで十分に理由となるのだとすれば、肌の色が違うだけで、彼は人間ではないという論理も成り立ってしまう。まったく違いの無いものなんてそもそもほとんど存在しない。そんな世界で「違い」を理由とするためにはその「違い」が正当なものなのか、重要なことなのか、その「違い」が明らかに区別しなければいけない理由をもっているのかを示さなければ行けません。それを示さずにただ「違い」を提示するだけでは理由にはなりえません。
誰かに教えて欲しい、「競技者人数が違う」、ただそれだけが何故違いとなるのですかと、人数が違えば違うんだと言う主張なら5人でやるのか9人でやるのか11人でやるのかも違うはずでしょ、1人と複数とで違うのだとしてもその違いがどういう論理で繋がるのですか。
上にあげてきたように「収益均衡がスポーツリーグの発展に繋がる」という「常識」には、反証は幾らでもある、にもかかわらず、これらの反証が野球とは違う例なのだ、野球はそれらの例とは結びつかないのだ、戦力均衡をするのが正しいことなのだ、といえるだけの満足な理由付けを私は見たことが無い。
別に「戦力均衡」そのものに反対しているのではありません、それが正当な理由であればすればいいと思っています。
反対しているのは、どうしても「戦力均衡がリーグの発展に繋がる」という論理の正当性が理解できないから、むしろそれが間違っていることを示唆するような要素が溢れているから、その方向に舵を切れと言うにはあまりに海図が頼りない、むしろ海図はその先に浅瀬があると示してさえいるように思えます。
もちろんMLBとNPBという2例しか存在しない野球なので「MLBがそうだからNPBもそう」というのはそもそもサンプル数が少なすぎます、「野球ではそうなのだ」というのはそれだけでは証明となりません、その場にいた2名の黒髪の人間が男であることを根拠に、世界人類全ての黒髪の人間は男性であると言っているようなものです。
最低限「野球と他のスポーツの明確な違い」を定義しその上で「その違いが戦力均衡政策が必須である」事の理由となることを証明しなければいけない。
ところが、何度も書いている通り、野球の特性、例えば「他のスポーツに比べて明らかに“もっとも優れたチーム”であっても勝率が低くなること」なんていうのはそれだけ「戦力差があろうとも単純に勝敗の差としてあらわれない」ことであり「各チームの戦力差と勝利の不確実性、優勝の不確実性は相関しにくい」ということであり「弱いチームが強いチームをやっつけやすい」ということ。
だったらむしろ「戦力差はしっかりあっても、それでもやってみなければわからない」ということを押し出した方が野球の他のスポーツには無い面白さを提供できるのではないのかと思う。ちがう?
先日道作さんがユークリッド幾何学の第五公準について触れられていたけど、それと似たようなものを感じます。
証明されてはいないけれども、でも正しそうだから、そう考えておいて矛盾が発生しないから、だからとりあえず公準として認定された前提で話をすすめる、そんな違和感を「戦力均衡がリーグ発展には必要不可欠」という“常識”に感じてしまうのです。
しかも、どう考えても矛盾があるし、反例もあるし、論理に無理があるし。
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私は、「戦力均衡がスポーツリーグの発展に繋がる」というのは「アメリカ社会」というファクターが存在して初めて成功するものだと考えています。
例えば「アメリカでピックアップトラックはたくさん売れている」からと言って、「日本でもピックアップトラックがたくさん売れる」と言う理由になるのか、ならないでしょう。
ピックアップトラックが日本では売れずアメリカでは売れるのはアメリカ社会がもつ特徴を日本社会がもっていないから。
それぞれの州が独立した国に近い権能を有している合衆国制度、国としての歴史が浅くその土地特有のものが育まれているとは言いがたい文化性、広大な土地に散らばって街があるという地理的条件、そういうのが合わさっていることで、アメリカの人たちは「自分の州(或いは町でもいい)のチーム」というものに自らのアイデンティティを重ね、チームが持っている特性や強さに関係なく「自分の所属する土地」のチームを応援するという理由があると思います。
いろんなチームに優勝の可能性がある、と言う事は逆に言えば、どれだけ自分がそのチームを応援し、その応援としてチームにお金を落としたとしてもそれがチームの優勝、小さく見ればチームの勝利に繋がるとは限らないと言うことです。
今のNFLなんて、運良く自分の球団にとって有利な偶然が発生すれば(ドラフト指名順がよいときに優れたQBがいたとか)強くなるとかいうようなものじゃないですか。
それでも、「自らのアイデンティティ」としての要素があるので多少その「チーム愛」がチームに直接還元されないような制度になっていたとしても、アメリカ人は「自らのコミュニティ」に属するチームを見放さない、見放“せ”ないのだと思います。その要素があるからこそ、自らの税負担が多くなることになってでもチームを引きとめようとするんじゃないのかなと考えてます。
私がおとしたお金はそのまま球団にはわたらず、ライバルチームの強化に繋がっているかもしれない。それでもそのチームを応援する、そのチームが「自分のチーム」であるということは決して変わらない、この特性が果たして日本にはあるのでしょうか。
少なくともアメリカほどそれは強くないはず、これだけ「都市圏への人口流入」や「企業の都合による引越し」に拒否反応を示さない国民性はそれだけ「地域」というものへの執着が薄いように私には思えます。果たして自分の懐を痛めてまでチームがその地域に残ってくれる事を選ぶ人がどれだけいるでしょうか。自分の懐を痛めてまで「地域」の印象を良くしよう、そこに誇りを持とうとしようと思う人がどれだけいるでしょうか。
巷に溢れる今の「MLBでこうなのだからNPBでもこうだ」という論理展開、そしてそれを前提とした「戦力均衡してないのが悪い」という主張にはほんとうに危機感を覚えます。
だって、どこをどう見てもアメリカ以外で戦力均衡に根ざしたスポーツリーグの発展というのは見当たらないんだもの。
Jリーグにしたって、あれがやっているのは「地域間格差(フランチャイズ格差)」の是正だけであって、収益分配をしているわけでは決して無い、チームがあげた利益はチームに入っていくようになっているし、客がチームにお金を落とせばチームが強くなるような制度になっている、それが正しいスポーツリーグの有り方ではないのか。
そもそもMLBにしたってヤンキースとマーリンズがだけが上下に突出しているからだとは言え、年俸格差を見れば、けっしてNPBより均衡しているとは言いがたい。
ちょっと手元にデータが無いので鈴木氏のブログから年俸を拝借させていただくと(断っておきますが万が一数値に間違いがあってもそれを引用した私に責任はあります)例えば2007年シーズンで言えば、最多のヤンキースが約21900万ドルに対して最少のマーリンズが3100万ドル、差は7倍超。この2チームを除いた残りのチームを比較しても2〜3倍近くの差があります、これを「戦力均衡したリーグ」と表現できるとは思えません。
今のMLBの隆盛を見てある程度の戦力均衡が必要だという論拠にするには非常に違和感を感じます、今のMLBの発展は「戦力格差をなくした」から発生したのではなく「戦力格差をちょうど良い水準にした」から発展しているのかもしれません。
少なくとも「戦力格差の無いMLB」というのがこの拡大期に達成されていたとは言いがたいです。ということはつまり「戦力均衡によってMLBの急激な発展はもたらされた」とはいえないということではないのでしょうか。
ちょうど先週辺りの週刊ベースボールが年俸特集だったのでそれをお持ちの方は良くわかるはずです。
仮に、もし仮にですよ、上にあげた様なことを全部説明しきれるような「理由」が提示されて、「やはりプロ野球でには戦力均衡が必要なのだ」と仮定しても、現状のNPBはMLBが発展してきたここ数年に準じるような水準での戦力均衡は現在でもじゅうぶんに達成しているのです。
(ちょっと手元に週ベがないのでもしかしたら記憶違いがあるかもしれませんが)今年の総年俸を比較したときには、上下に巨人と広島という突出が有りますけど、そこを除いてしまえば2〜3倍の枠内に収まるでしょう、むしろ日本球界のほうが狭い範囲内に年俸水準はあるとさえいえます。その状態で発展できないのだとすれば、年俸の均衡が足りてないのではなく、他に何か達成できていない理由がある・NPBだけがもっていない要素があると考えるのが普通じゃないですか?
誤解の多いところですが、現在の状況を「年俸格差」という観点から見れば、MLBよりもNPBのほうがより格差はない、より均衡に近いのはNPBなんです。
ということは、近年のMLBの発展というのは他の要素、例えば球場の近代化によってプレミアシートによる収益が増加したことや、公的資金を誘導できるビジネスモデル、そちらにあると思います。それらの要素にこそNPBは学ぶべきではないのでしょうか。
「戦力均衡」を主張する論調は、どうもMLBの発展を正しく分析してそこから正しい「発展のために必要なこと」を見据えているようには思えません。
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この辺について、まったくといって良いほど「理由」を見つけられないのは、たぶん私の勉強が足らないのだろうと思います、そうでもないとこれだけ皆がそれを当たり前のように受け入れていることに理由はつかない。
スポーツビジネスの世界ではこの点について「明確な回答」が既に出ていることなのでしょう。なので、是非それを教えて欲しい、それの書かれている文献などをご教示願いたい。
あぁ、その節はできれば日本語のでお願いします。最近英文あんまり見てないし、細かい訳とか誤解しちゃうとまったく理解がおかしくなっちゃいますからね、そこまでの自信は英語にないです、最近ニュースを聞いているのもちょっと怪しいぐらいなのに(笑)
追記
「戦力均衡」が達成されているかどうかの指標として特に断りも無く「年俸」を使っておりますが、なぜ年俸差が戦力差と繋がるかに関してはこれまで何度か書いてきていますのでここでは詳しくは書きません、適当に過去ログあさってください、ここではわかりにくいので過去ログ置き場でどうぞ。
簡単に言うと戦力均衡を前提とするスポーツビジネスのモデルでは、年俸と戦力が比例するような制度とし、その上で各チームの年俸総額をフラットにすることで戦力均衡を達成しているから、ってことです。
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- 事務局に通報しました。
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