南海、幻の名選手。
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おりやん
2008年06月09日 00:44 visibility5627
南海ユニからはじまって、結構思い出話を引っ張ってしまいましたが、
今日の阪神ーオリックス戦を観て、もう一話、是非書いておきたくなりました。。。
久保寺雄二選手って、ご存知ですか?
最後の南海ホークスの若きヒーロー、と詠われた選手です。
今、40代以上のプロ野球ファンの方なら、名前に記憶はおありだと思います。
ただ、私も年代とか記憶だけでは曖昧なので、ネットで調べ直してみました。(主にWikiより)
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静岡商出身、1976年にドラフト2位で南海に入団。
高校出2年目からほぼ1軍に定着、走攻守3拍子揃った選手として売り出す。
南海の前リーダー、藤原の後継として1984年に背番号7、南海看板の三塁手となる。
そのオフ、年が明けた正月の1985年1月4日、帰省先の実家で就寝中に体の不調を訴え、
救急車で近隣の病院に運ばれたが手当の甲斐もなく、急性心不全で急逝、、、享年26歳。
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若きプレーヤーの不可解な突然死に、
当時のニュースで大変ショックを受けた事を覚えております。
何故、そんな万能なプロ野球選手が、、、?
、、、私は、確かその2年前だったと思います。
友人と川崎球場で、久保寺選手の生プレーを観ております。
、、、実は、その友人がロッテの若き三冠王、落合を観たい、
という事で付き合った、というのがキッカケであります。
南海の久保寺はその時まで全く印象になく、パンフレット(のようなもの)を見て、
ああ静商(セイショー)出の選手か、と思った記憶だけでした。。。
それからちょこちょこ気にして見るようになって、
へえ〜、なかなかええ選手やなあ、、、と。
そんな頃の、突然の訃報でした。
、、、久保寺選手が亡くなった時に知ったのが、
今のオリックス代行監督、大石大ちゃんと静岡商時代、
チームメイトで同級の選手だった、という事でした。
という事は、巨人・原監督とも年代は同期です。
そして、阪神・岡田監督が一学年上。。。ちなみに私が同期です。
久保寺選手があのまま活躍していたら、これからという矢先でしたし、
大石大ちゃんクラスの選手になった事でしょう。。。
そして今は、どこかの監督かコーチをしていたかも知れません。。。
今日、オリックスを陣頭指揮されていた、大石大二郎監督を拝見し、
改めて、そんな事を思い出しました。
もし、ご存知なかった方は、良かったら覚えててあげて下さい。
南海の背番号7、久保寺雄二選手の名前を。
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- 事務局に通報しました。
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