南海、幻の名選手。


南海ユニからはじまって、結構思い出話を引っ張ってしまいましたが、

今日の阪神ーオリックス戦を観て、もう一話、是非書いておきたくなりました。。。


久保寺雄二選手って、ご存知ですか?


最後の南海ホークスの若きヒーロー、と詠われた選手です。

今、40代以上のプロ野球ファンの方なら、名前に記憶はおありだと思います。


ただ、私も年代とか記憶だけでは曖昧なので、ネットで調べ直してみました。(主にWikiより)


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静岡商出身、1976年にドラフト2位で南海に入団。

高校出2年目からほぼ1軍に定着、走攻守3拍子揃った選手として売り出す。

南海の前リーダー、藤原の後継として1984年に背番号7、南海看板の三塁手となる。


そのオフ、年が明けた正月の1985年1月4日、帰省先の実家で就寝中に体の不調を訴え、

救急車で近隣の病院に運ばれたが手当の甲斐もなく、急性心不全で急逝、、、享年26歳。


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若きプレーヤーの不可解な突然死に、

当時のニュースで大変ショックを受けた事を覚えております。

何故、そんな万能なプロ野球選手が、、、?



、、、私は、確かその2年前だったと思います。

友人と川崎球場で、久保寺選手の生プレーを観ております。


、、、実は、その友人がロッテの若き三冠王、落合を観たい、

という事で付き合った、というのがキッカケであります。

南海の久保寺はその時まで全く印象になく、パンフレット(のようなもの)を見て、

ああ静商(セイショー)出の選手か、と思った記憶だけでした。。。


それからちょこちょこ気にして見るようになって、

へえ〜、なかなかええ選手やなあ、、、と。


そんな頃の、突然の訃報でした。


、、、久保寺選手が亡くなった時に知ったのが、

今のオリックス代行監督、大石大ちゃんと静岡商時代、

チームメイトで同級の選手だった、という事でした。


という事は、巨人・原監督とも年代は同期です。

そして、阪神・岡田監督が一学年上。。。ちなみに私が同期です。



久保寺選手があのまま活躍していたら、これからという矢先でしたし、

大石大ちゃんクラスの選手になった事でしょう。。。

そして今は、どこかの監督かコーチをしていたかも知れません。。。



今日、オリックスを陣頭指揮されていた、大石大二郎監督を拝見し、

改めて、そんな事を思い出しました。


もし、ご存知なかった方は、良かったら覚えててあげて下さい。

南海の背番号7、久保寺雄二選手の名前を。


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