【サッカー 清水】またここで掲げよう俺たちの旗を。
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太田町見付
2015年10月20日 21:54 visibility539
今回の残留。思い起こせば、C大阪と大宮の敵失に助けられた。うちが負けた時に向こうも負けている。そして最後ヒヤヒヤしながらの勝ち点1。
大宮は渋谷監督となり6勝1分5敗。、対する清水は大榎監督となってから4勝3分10敗。その負け方も大量失点ばかり。
結局のところ前監督の遺産を食いつないでの残留か、ハナから遺産がなかったかの違いだけ。
新人監督で途中交代で引き継いで残留できたのは神戸の和田さんだけと常々吹聴しまくり、大榎、大熊、渋谷の誰かひとりしか残らないといってきた。
残ったのは必然ではなく偶然。そう謙虚に捉えることができたのなら、一から、守備の構築からはじめれば若いチームだし再建は可能。ただ、勘違いして、のぼせ上がれば、ただ降格するのが一年遅れただけになる。
大宮の夢が破れ、うちの夢が叶っただけ。運も実力のうちというが、それは偶然をもにできた時の結果論。
謙虚にならなければ、おちないおちないといい続けていた氷川神社の祟りをくらうことになりかねない。もしかしたら、YAMAHAの磐田と同じような目にあっていたかもしれないのだから。
って日記を一年前に書いたら案の定、降格しました。
在静の新聞各社はこぞって検証記事を連載しています。テレビ局も、土曜日夜の新潟松本戦終了と同時にテロップで降格の速報を流しましたし、日曜の静岡新聞は一面トップでこれを扱っていました。
降格に至った経緯はマスコミ各社の検証記事に譲るとして、自分の思っている事を徒然書いていきます。これは日記ですし、思うところは人それぞれです。伝聞に基づき書いていることもありますから、もしかしたら事実誤認の場合もあるかもしれません。
最近Twitterが主になりそこで呟いていたのですが、4月から降格する、降格すると言い続けていました。
開幕鹿島戦は良かったのですが、それから後がいけません。オウンゴールやセットプレーでの敗戦がナビスコ予選を含めて続いたのです。
長期的視野に立って若手を起用した前監督の思いってある新聞にはかいてありましたが、それは何をか況やです。前季ほうほうの呈で15位で残留を果たしたクラブに若手を使ってかつチームを再建する余裕などあるはずもないことは火を見るよりあきらか。さらに前監督はシーズン前に優勝を口にしていたではありませんか。
公式にこれがUPされた時に何考えてるんだか、と私は思った次第。前季15位でようやく残留したチームがたいした戦力の上積みもしていないのになんたる夜郎自大。
せめて、年間勝ち点50、賞金圏内と言ってれは信ぴょう性も一段と増し監督の信頼も揺るぎないものになったのかもしれません。
これを言ったら、知人に「優勝って夢があるじゃん、その夢に向かって」なんて言われましたが、卑近な例ですいませんが甲府が優勝が目標って言ったらどうでしょう?なんて楽しい夢ですけど、みんな現実をみています。されどここには現実と夢の区別のつかない人たちが大勢いました。
GW前の山形戦が一つのヤマ、あそこで監督に見切りをつけていれば、浅傷ですんだのかもしれません。フロントは解任することなく監督も辞任することはありませんでした。ここで甲府と差がついたのかもしれません。
守備の迷走も続きます。サッカーは点を取られなければ負けないスポーツと常々吹聴している私の持論。堅守がみたいのにザルばかり。
中断期間のファン感、前監督の続投が発表されます。ルビコン川を渡った瞬間。もう腹くくりました。降格と。
セカンドステージは0-5の大敗で幕を開けます。そして監督辞任。遅かりし由良之助。
後任の田坂さんになっても上位浮上は夢物語。超低空飛行のまま、残り3節を残して降格が決まりました。
育成出身の前監督は若手を使いたがりましたが、それはあまりにもリスクが大きすぎました。自嘲気味に大榎チルドレンと私は言ってましたが、彼らにチーム再建の柱となれというには非常に酷な話でした。
元をただせば、前季やっとこさ残留したのは大榎監督の采配ではなく途中解任されたゴトビさんの遺産にほかなりません。そんな彼を監督として迎え入れたフロントの見識を疑います。
そして田坂監督、田坂さんには感謝の言葉しかありません。大分を解任された後、泥船の船長をよくぞ引き受けてくれたと。もう降格が規定路線のクラブ、自分のキャリアに傷がつくのを承知で引き受けてくれたのはありがたい限り。
左伴社長は経営者として有能な存在。社長を悪く言うサポーターもいますが(彼が外様だし)、これほど多くのスポンサーを集めてくれた社長は他にいません。
そしてサポーター。サポーターに関してはまた改めて書きたいと思います。
- 事務局に通報しました。
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