★野球の歴史★

  • 鷹乃廉
    2009年06月01日 01:40 visibility2315

ここでは野球の歴史的なものについて考察したいと考えております。
主にコメントやメッセージで投げかけられた疑問を基に、野球にまつわる歴史などを紹介する予定です。
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以前の日記にて「ワンバウンドした投球も捕手が捕球すれば、正規の投球になるのではないか?」とのご質問があり、ルールについての歴史を探ってみました。

1:野球の発祥
野球の発祥は1840年頃のニューヨークといわれている。ある消防団員達が、運動不足を解消し結束力を高めるためにはどうしたら良いかと考え、屋外スポーツという結論に達した。
そして「タウンボール」と呼ばれる野球の原形となるスポーツが考案された。

2:当時のルール
タウンボールはルールが厳格に定められていたわけではなかったので、時と場合によってルールを変更する必要があった。
そのため、1845年に大本となるルールが制定された。


1:チームの人数を攻撃側と守備側それぞれ9人ずつにし、一方のチームが攻撃中には相手は全員がフィールドに散らばり守備につく。



2:フィールドを菱形に設定し、ホームベースに鉄のプレート、その他3つのベースに砂を入れた袋を置く。塁間は90フィート(約27.43m)。



3:
(1)打球がノーバウンドまたはワンバウンドで捕球されたとき
(2)打球が相手側に捕球され、走者よりも先に塁に送られるか、走者が塁に着くより先にボールでタッチされたとき
(3)捕球しようとする相手の邪魔したとき
…以上の場合に攻撃側はアウトとなる。3アウトで攻守が交代。


21点を先取したチームが勝ち。

打者は3回空振りしたら、捕手の捕球したか否かに関わらず、走者になるのが基本であった。(アウトではなく三振は全て振り逃げの状態)



3:ルール改正の歴史
こうしてアメリカに広まったタウンボールは後にベースボールと呼ばれるようになった。


ベースボールは誕生した後もルールの変更を繰り返している。ルールの度重なる変更の狙いは「試合時間の短縮化」と「試合のスリリング化」の2つが挙げられる。



・ベースボールが誕生した当初は21点先取制だったが、あまりにも時間がかかりすぎるために、1857年に「9回終了時に得点が多かったチームの勝ち」になった。


最初は投手には下手投げしか認められておらず、打者は投手にコースの指定ができた。
1858年、見逃しに「ストライク」(打て)のコールがされるようになる。
1863年、真ん中付近を通らない球に「ボール」のコールがされるようになる。
1879年、全ての打たれなかった投球はストライクかボールに区分され、9ボールで一塁へ。
1880年、8ボールで一塁へ。捕手が3ストライク目の球を直接捕球すれば打者は三振でアウトが取られるようになった。
1881年、投手と打者の距離が45フィートから50フィートへ延長された。
1882年、7ボールで一塁へ。横手投げが解禁される。
1884年、6ボールで一塁へ。上手投げが解禁される。
1886年、7ボールで一塁へ。
1887年、打者が投手に投球コースを指定できなくなった。5ボールで一塁へ。この年のみ5ボールは安打と記録され、4ストライクでアウトに。死球で一塁が与えられた。
1889年、4ボールで一塁へ。
1893年、投手と本塁の距離が50フィートから60フィート6インチに。

守備に関して最初は、ノーバウンド捕球だけでなく、ワンバウンド捕球でも打者はアウトだった。


1864年、ワンバウンド捕球=アウトが廃止され、ノーバウンドのときのみアウトとされた。(この頃からノーバウンド捕球=正規の捕球として扱われるようになったと考えられる)

4:まとめ
このように野球は発祥の段階から地域や競技者に合わせルールを柔軟に変更しており、学童野球やシニアリーグなどで独自にルール変更している団体も数多く存在する。よって公認野球規則はあくまで全国的な統一ルールであり、大会毎に特別ルールが存在するので誤審やミスジャッジを疑う前に、大会規則も確認しておく必要がある。
ちなみに、私が9歳の頃所属していた学童野球連盟では、投球に関して「ワンバウンドでもストライクゾーンを通過すればストライクとする」という規定があり、この場合ワンバウンド投球も正規の投球となるので振り逃げはできないとされていた。
(小学3年生以下ルールで体力的な問題を考慮したローカルルールだと思われる)

野球って発症してから150年も経ってないんですね。現在になっても15秒ルールとかで試合短縮を行っている理由がわかる気がします。サッカーは中世15世紀頃から存在すると言われ、それに比べると野球はまだまだ発展途上なのかもしれません。

最後にまったくの無駄知識(この日記のほぼ全てが無駄知識ですが)、ストライクのコールについて。
日本では太平洋戦争中は敵性語であるとされ、ストライクは「よし」+本数(1本・2本)というように置き換えられた。三振は「よし3本、それまで!」と言われていたようだ。
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最後まで読んで頂きありがとうございました。御意見・御要望がありましたら、お気軽にコメントやメッセージをお書き下さい。
可能な範囲で最大限期待に添えるようにしたいと思います。

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