2011年9月

  • 東研作
    2011年11月04日 17:05 visibility22

9月、さすがに連続退職記録は途絶えたが、これは単純に社員数が少なく、これ以上減ると会社が回らなくなるというのもあるのかもしれない。この月からは誰も辞めない代わりに不幸が舞い降りるという展開に変わってきていた。

 その先陣を切ったのは社長だった。9月のある日、社長から「妻が入院した。これから3か月以上は入院することになる。実は3人の小さな子供がいるので、何かと出勤が遅れたり、直帰して自宅作業としたりなど我儘をいうと思うがどうか頼む」と言われた。
 お大事に、と思いつつも(これは結構サボれるのでは!?)と期待したが、始まってみると完全にアテが外れた。要するに、さらに仕事が上積みされただけで、「誰も居ないから遊んじゃお♪」なんてなるはずもなく、ただただひたすらに忙しくなっただけであった。一人なのにサボれないという浪人生のような毎日というのはなかなかにシンドいもので、電話が二つ三つ同時に鳴ればどうにかしないといけない昔の忙しいサラリーマンの表現のような受信の仕方も毎日だとしんどすぎて息切れてしまっていた。後に転送電話というシステムを利用させてもらうこととなりましたが。
 加えて、毎週のように出張が入り始め、得意先のバカさ加減と社内の担当者のバカさ加減の間でいいようにコキ使われる状況に陥っていた。出張中に誰かが何かをしてくれる、などとは最初から期待していなかったので、増えるわかめちゃんよりも早く業務が飽和状態になることが明らかだったし、実際わかりやすいぐらいに誰も何もしてくれなかった。この棲み分けの見事さはその辺の区役所と双肩だったので、僕もすっかり同じ対応を始めるようになっていった。
 そうなると社内では醜い、そして露骨な仕事の押し付け合いが顕著になってきた。社長が不在がちになると、社内評価も何も存在しなくなっているため、「やるだけ損」という空気が充満し、お互いにいかに楽をするかということを競い合うようになっていた。「それってこっちの仕事ですか?」が社内の挨拶代わりになるまでに一週間もかからなかった。
 現在も社長の奥さんの容体は一向に改善せず、多少この状況に慣れてきた社長の在席率が上がったかな、という程度。
 人間体調には気をつけないといけないなー、という教訓を与えてくれた社長の奥さんの入院だったが、教訓というのは何度も叩き込まれるものらしい。以下、来月に続く。

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