2011年7月

  • 東研作
    2011年10月26日 17:52 visibility28

この頃になるとようやく仕事にも慣れてきたものの、イメージしていた残業量を超えていたのは人員マイナス1だったことが大きい。そして社内にいる2名のマネージャーのうち、1名が途方もなくバカだったことが挙げられるが、この人物の話は追々。

 6月決算の会社だったので、納会と顔合わせのような飲み会が開催され、ここで会う社員の人たちというのも半分ぐらい出席していた。飲み屋で乾杯前に会社の決算数値を社長が説明するのだが、ビールを飲んだり煙草を吸ったりしながら聞く人間ばかりで、真面目にメモを取っているのが自分ひとりだったことに気づき、軽い絶望とこりゃあ出世も早そうだと思った。会話には機転や知性を必要とせず、ただ適当にイジリやすい人をイジッていれば場が持つようなどうでもいい内容だった。
 そんな中、同じオフィスで働いているギャルが「私はもっともっと会社に貢献して頑張りたい。寿退社させようとしたってダメだからね!」と社長やマネージャーに高らかに宣言していた。
 この女性、ギリギリ昭和生まれのいわゆるゆとり世代で、社長にはタメ口を全開、電話の名前聞き違い確率7割(後に耳に障害があることが判明。といってもヘッドホン音量過多による難聴)で、社会常識というものが生まれ故郷のアリゾナ基準という超ツワモノだった。
 ただし良いところも結構あって、何かを達成したときに一切自己主張をしないという点は見習いたいと思った。何もやり方を聞かずに独学でさりげなくお客さんに対応したり、ちょっとしたスキに色々なものが片付いていたりなど、僕だったら手柄が欲しくてついつい「●●は僕の方でやっときました(ドヤ顔)」となりがちである。
 その点を面と向かって何度か褒めた。「あなたのこういうところは本当に素晴らしいと思うし、見習いたいと思っている」と。ただ、仕事が丁寧なわけではないので、その他の部分でのヘマは多かったように思える。安い給料で営業事務を雇う、ということでかなり目をつぶっているところもあったと社長からは後日聞いた。
 そして7月のとある金曜日、アジア圏のお客さんからファビョったクレームがやってきた。社内の人物に仕事を頼んだ結果、一部に抜けがあったのだという。そもそもチェックをしなかった彼女にも責任があるが、そういったクレームをうまくかわす方法をまだ持っていなかった若さも不幸だったのかもしれない。翌土曜日、彼女は返金4200円を持って一人でそのクレームを処理することになった。
 そして翌週、彼女とは一切連絡が取れなくなった。数日後、鍵や保険証が普通郵便で送られてきた。彼女の仕事の半分は僕が強制的に受け持つ羽目になった。
 少人数の会社のため仕方がないと割り切りつつ、さすがにもう登場人物がいないから減ることはないだろう、あの時の僕はそう思っていた。そして8月を迎えたとき、さらなるめんどくさい出来事が起こるのだが、それはまた次回。

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