だからオシムに不思議がられる

ナビスコ敗退が決まった日
ジェフ・サポの皆様がもらしたタメ息の数々
カップ戦に託した一縷の望みが打ち砕かれたワケなんですけど
なんかナビスコにはアマルの人智を超えた力(元々そんなものはありません)
が発揮されるのではないかと期待してた空気がありましたね。

それが証拠に
敗退が決まった途端 擁護派の方々から
監督交代もやむなし の声が堰を切ったように流れ出ました。

しかしガンバ戦が終わって空気は一変
負けたけどよくやったじゃないか と楽観論が支配。
他サポさんからは そんな甘いことを言ってると
と心配されるほど。

この期に及んでですよ。
選手は決勝戦で負けたかのようにヘタリこんでても
中断期間でなんとかなる
そのうちなんとかなる
と危機感はどこへやら。

オシムが不思議がるのも無理はない。
負けたのに よくやったと暖かく迎えるサポがいる
この国の不思議さに興味を持った って有名な逸話。
もっともそれがあるからこそ
2バック実験室を親子2代で続けられるんでしょうけど。

去年のエントリーでも書きましたが
膨大な運動量を要求するソレはリーグ戦ならまだしも
高温多湿のこの国や連戦が続く国際大会では現実的でないです。

ま それどこじゃない今のジェフに言ってあげたいのは
度々狙われてるハニューのとこを何とかしないとね。
決定的な失点のキッカケになることが多すぎです。


一方その頃 オレゴン州ブルッキング方面では

唯一アメリカ本土を空襲した藤田飛曹長を探していた。
1962年 藤田飛曹長にブルッキング市から招待状が届く。
戦争犯罪人として裁かれると覚悟を決めた藤田飛曹長は
いざとなったら割腹するつもりで所持していた軍刀をたずさえ
機上の人となった。
今だったらそんなもの持ち込めませんが 
昔はノンキだった。

ところが現地に到着すると市民から大歓迎を受ける。
勇敢なヤツだ 一度顔を見たかった    みたいな
名誉市民の称号までもらっちゃって。
藤田飛曹長は贖罪の意味を込めて同市に植林を行ったり
同市市民を日本に招待するなど日米友好に半生を費やした。

メデタシメデタシ


つーかさ
なまじっか技術があると手間ヒマ掛けすぎる傾向ってありますよね。
周囲もそれを絶賛したりするし。
飛行機バラして潜水艦に積み込んで
行った先で組み立てて 作戦完了したらまたバラして持ち帰ったとか。

もう死んじゃったけど 
有名なジャズ・ドラマーが中国戦線でトラック部隊にいた頃
10台編成で前線に物資を輸送中 川に直面。
幅はあるけど深さはそれ程でもない しかしトラックでは無理。
そこで技術の見せ所。
10台のトラックをバラして担いで向こう岸へ。
もちろん輸送中の物資も担いでね。

そして組み立てたらお届け先へまっしぐら。
ハンコお願いしま〜す
ハンコをもらったら帰ります。
また川です。
トラック バラして渡ります。
渡ったら組み立てて本隊へ戻ります。
戻ったらまた前線へ物資の輸送です。
また川です。
と何度もくり返したそうです。

戦後 この体験を自慢げに若い子に話したところ
10台全部バラさなくてもよかったのでは と笑われたそうです。
5台だけバラして向こう岸に置いておけば
こっちの5台で本隊と川の間をピストン。
向こう岸の5台は前線へピストン。
10台全部バラしたり組み立てたりする必要なし。
担いで川を渡るのは物資だけで済む
てね


chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。