
去り行く者たちの記録と彼らへ贈る言葉 2 <尾藤・籾山・土井>
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舎人
2011年11月07日 05:50 visibility2925
10月24日に書いた日記に続いて、今オフ戦力外になってしまった選手たちの話をしたいと思います。今のところその後3名だけですが、まだまだこの人数は増えて行くことでしょう。しかし、おそらくこの先はベテランと外国人の戦力外もしくはトレードが中心で、若手に関しては自由契約といっても育成落ちではないかと思います。その数も4名程度ではないかと思います。
11月になって戦力外になった3人とは尾藤、籾山、土井です。この3人が正直戦力外になるとは意外でした。この3人よりも力量が劣る選手は他に何人もいたからです。3人とも色々な事情があって、今回の戦力外通告になったのでしょう。前回の木村たちと同様、3人のプレーを集めて、思い出を話してみたいと思います。
2008年の育成ドラフトの2巡目はやたらと時間のかかるものでした。巨人の番になってもなかなか指名選手が発表されないのです。5分を経過した頃でしょうか、ようやく発表されました。岐阜城北高卒の尾藤の名前がコールされたのです。担当スカウトが身分照会をして、今ドラフトで指名しても大丈夫かどうか確認を取っていたため時間がかかったのでした。尾藤は高校を卒業後、早稲田大野球部に入ったのですが、高校時代から痛めていた左ヒジの故障のためにプレーできず、大学を中退してフリーの状態でした。巨人に指名されたのはその左ヒジの靭帯再生手術のリハビリの最中だったのですが、9月に行われた入団テストで回復を見込まれ、指名に至ったのでした。しかし、この指名が当時の早稲田大の應武監督にあらぬ疑いをかけられ、巨人は早稲田大に出入りを禁止されてしまいます。尾藤の中退やこの育成での指名は巨人と尾藤との出来レースではないかと思われたのです。何のあいさつもなかったということに應武監督は怒り心頭でした。織田スカウトが誤解を解くために散々苦労したそうです。そんな入団時のいわくがあっての尾藤入団でした。
尾藤の一年目はフューチャーズで7試合、シリウスで3試合、全てリリーフでの登板。公式戦での登板はありませんでした。私はどうもこの尾藤の登板とは縁がなく、なかなか目の前で見る機会に恵まれませんでしたが、ついに8月29日のロッテ浦和球場で行われたシリウスの試合で投球しているのを目の当たりにすることが出来ました。三塁側のブルペンでした。五回を終わった辺りに痩身のサウスポーがブルペンに入ったのを確認すると、試合そっちのけで投球練習に見入ってしまいました。なんだか当時巨人に在籍していた藤田と共通点を感じさせる投球スタイルだったことを思いだします。素晴らしいキレと躍動感です!しかし、ブルペンで20球ほど投球をした尾藤は結局そのままベンチ裏に引っ込み、試合には登板しませんでした。この頃の尾藤はヒジの故障が再発したためか、実戦登板がなかなか出来ず、ブルペンの投球で様子をみながら登板するかしないか決めているような感じでした。
尾藤が試合で投げるのを見る事ができたのは二年目の春の教育リーグでのことでした。西武に鳴り物入りで入団した菊池雄星がプロ初登板をした試合です。ドームの外では雪が降り、凍える寒さの中で尾藤は先発の山口に代わって登板しました。MAXは133キロと時期が時期とはいってもやや物足りないものでしたが、キレが良く小気味の良い投球をしていました。内容はともかく、無事に投げられたことにホッとし、今年こそケガを乗り越え戦力としてアピールをして欲しいものだと思いました。すると、尾藤はイースタンの開幕2戦目に先発に抜擢されるのです。公式戦プロ初登板が先発という栄誉でした。結果は四回5失点で負け投手という残念なものでしたが、徐々にステップアップしていることが伺えました。二年目は公式戦で5試合、フューチャーズで6試合、シリウスで6試合と一年目とは比べ物にならないほどの試合数をこなしましたが、シーズンの中盤以降はどうも肩ヒジの具合が思わしくないようで、徐々に生彩を欠いて行った感じでした。
そして三年目の今年、尾藤は春先にフューチャーズとニニ軍で4試合ほど登板したものの、またもや故障で離脱、復帰したのは8月末のことでした。10月16日の日記でも話したとおり、復帰後の尾藤はなかなか素晴らしい投球を繰り広げていました。かつての工藤公康のように体全体で投げ込む姿は、体調が万全になれば、きっと大きな戦力になると思わせるものでした。
今回の戦力外はどうやら自ら申し出たものらしいですが、私にはなんだかもったいなく思えてなりません。野球を辞めて大学にでも入り直すのでしょうか。自分の人生を悔いの無いものにして欲しいとは思いますが、まだまだ可能性を秘めている気がしてならないだけに、クラブチームかなにかで野球は続け、いつかもう一度プロに挑戦してみたらどうかと思います。
ブルペンで投げる尾藤竜一(巨人)2009年8月29日
2010年巨人新戦力[尾藤・神田・河野・星野]2010年3月9日
尾藤竜一 三者連続三振!2011年10月16日
2007年の大社ドラフト1位の村田がわずか3年で自由契約になってしまったのを考えると、籾山は4年間も待ってもらえたのです。そういった意味では籾山は恵まれていたのかもしれません。しかし、どうも肝心な時にケガに泣かされてきた感じがします。入団早々に左鎖骨下静脈血栓症で入団したこともそうですし、二年目の6月に左手を骨折、さらに8月には死球で右手を骨折、支配下入りにもう一歩のところでケガをしてしまった感がありました。昨シーズンもキャンプで頭部に死球を受けて離脱するなど、せっかくアピールのチャンスの場面で不在だったりしています。2009年7月に報道ステーションで育成選手の特集が放送されたのですが、その時取り上げられていたのは籾山、福元、山本の3選手でした。その中で支配下入りの筆頭候補は籾山だったと思います。しかし、福元と山本の2人が支配下入りを果たし、籾山だけ取り残されてしまったのは、持って生まれた間の悪さにほかないのではないかと思います。内外野を一定レベルで守れるオールマイティさにしても、シャープで長打も期待出来る打撃も福元、山本にひけを取っているとは到底思えず、本当に支配下入りまであと一歩のところだったのだと思います。
私の前ではよく本塁打を放ってくれました。26歳、ニニ軍の主砲でも時間切れとなってしまったようです。これからはジャイアンツアカデミーの講師として球団に残るそうですが、この4年間の苦労はきっと籾山が指導者になった時、かけがえの財産になっていると思います。
籾山プロ初本塁打!2008年4月19日
籾山本塁打!2009年3月20日
中井二塁打・円谷&籾山タイムリー 2010年6月8日
グライシンガー対巨人育成野手 2010年9月12日
籾山幸徳 マルチヒット!2011年4月17日
籾山幸徳 マルチヒット! 2011年6月26日
籾山幸徳 レフト前ヒット&ファインプレー!2011年10月4日
籾山幸徳 マルチ長打!2011年10月9日
籾山幸徳 レフトオーバー本塁打!2011年10月16日
なんで戦力外なのか理解できません。何が問題なのか?年齢的に時間切れでもないだろうに。素晴らしい長打力、打撃は非凡なものがあるし、元気でいつも声が出ていて、野球が好きだということが遠くからでも分かる選手でした。ニニ軍で一番打撃で期待出来るバッターはこの土井でした。ブルペン捕手として球団には残るようですが、現役バッターとしてもう少し待って欲しかったと思わざるを得ません。もしかして選手が足りない時、ニニ軍で試合に出るのではないか。そんな思いに駆り立てられてしまいます。あの本塁打がもう見られなくなるかと思うと本当に残念!
土井健大 マルチ二塁打!2011年4月17日
土井健大 レフト前ヒット!2011年5月22日
土井健大 本塁打&レフト前ヒット!2011年6月12日
土井健大 本塁打&右中間二塁打!2011年8月17日
土井健大 レフトオーバー本塁打&センター前ヒット!2011年10月4日
土井健大 マルチ二塁打!2011年10月9日
今回戦力外になったこの3人のことを思うと、戦力外になる理由とは力があるかどうかではないということがよく分かります。要は次のステップに進むタイミングが合わなかったということが一番の理由なのではないか。自ら引き際を考えた尾藤はさることながら、籾山も土井もまだまだプロとして次のステップに進む力は持っていた。しかし、そのチャンスを掴めずに籾山は年齢的な理由で時間切れ、土井の場合はポジション的な理由や他の選手の出場機会確保のために弾き出されてしまったのでしょう。こういったタイミングとは自分の力ではどうすることもできない“時の運”というものがあるのだと私は思います。もしかしたら選手が育ちブレイクする瞬間というのは限りなく低いタイミングの積み重ねによる奇跡の瞬間なのかもしれません。
尾藤、籾山、土井の三人には、そのプレーの数々をしっかりと記憶の中に留めるとともに、次の人生への限りないエールを送りたいと思います。
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