
去り行く者たちの記録と彼らへ贈る言葉 3 <上野・中里>
-
-
舎人
2011年11月18日 01:21 visibility698
巨人の内乱の話は進展があるまで様子を見るとして、今日は先日戦力外の発表があった選手たちについて、また思い出を振り返ってみたいと思います。今回発表があったのは、予想通り、若手ではなく中堅・ベテランでした。マイケル、紺田、上野、中里の4人だったのですが、私が話すのは上野と中里の2人について。マイケルは若手の語り部としての私の対象外のような気がするし、紺田もケガの影響で巨人でのプレーはほとんど見られなかったので、あまり思い出がありません。鎌ヶ谷のレフトスタンドで紺田が打席に入ると、ファンやファビィ(マスコット)が鳴り物を手に「コンタ、コンタ、コンタ、コンタ、コンタ!」とリズム良く応援していたのが一番の思い出です。老け込む歳ではないし、マイケルも紺田も新天地でまだまだやっていくことでしょう。
上野貴久(28)
最初にヒドイことを言ってしまいますが、上野は戦力外になるのが2年遅かった気がします。2006年のドラフトで3巡目指名で巨人に入団したのですが、ドラフトの際、その年のプロ入りを拒否していた気がします。それを左腕が欲しいというチーム事情から、巨人がこの大卒2年目の社会人左腕を強行指名したのでした。しかし、このために次の巡で指名する予定だった長野を日本ハムに指名されてしまいます。当時から上野の能力には疑問があり、評価はいま一つでした。どの掲示板にも、上野が取れたということよりも、長野を取りそこなったという落胆の書き込みが溢れていました。長野を諦めてでも指名したのだからという十字架を背負った上での上野のプロ入りでした。
ドラフト時MAX146キロという触れ込みは例に違わずやや水増し気味で、ジャイアンツ球場での上野の球速はMAXでも142キロといった感じで、平均すると137~138キロといった感じでした。精密なコントロールとの触れ込みも、平均より上といった感じです。一言でいえばまとまったピッチャーというのがプロ入り後の上野の印象でした。
ルーキー時の上野は先発を7試合ほど務めましたが、リリーフとしての登板がほとんどで、2年め以降は先発を任されることもありませんでした。しかし、そのリリーフがどうも頼りなく、対左を期待しても打たれるどころか簡単に四球を与えたりしています。球威の無さと中途半端なコントロールのためにコーナーを狙いすぎる投球にならざるを得なかったのです。しかも、年々頼りなくなっていく感じでした。この時すでに3年目、回り道をしながら長野がドラフト1位で指名されて入団することが決まりました。私は入れ替わりで上野は自由契約になると思いました。しかし、上野は生き残りました。左腕不足のチーム事情と入団時に無理を言って入団させたいきさすから待ってもらったのだと思います。
待ってもらったところでどうにもならないだろうと思って迎えた上野の4年目でしたが、なんだか今までの上野と球のキレが違います。ピンチで送り出されても、ほとんど危なげなく切り抜けて仕事をしているのです。ファームの3年目の防御率が5.84だったのが、4年目の昨季は1.30まで向上していました。そして、昨シーズンの終盤についに一軍で初登板を果たすのです。2010年9月9日の横浜戦、敗戦処理として2/3回の登板でした。打者二人を相手にわずか6球の登板でしたが、即戦力として入団したものの結果が出せず、一度はクビになりかえた中での一軍登板だったのです。感無量だったと思います。
結局、一軍での登板は昨年のその1試合のみでした。今年は林イーハウとともに、ファームの抑えを務めていたものの、昇格を勝ち取るほどの登板をすることができず、そのままシーズンが終わってしまいました。
今回の戦力外は総合力が足りなかったということなのでしょうが、12月に29歳になる年齢によることもあったでしょう。しかし、昨シーズンのような投球が出来れば十分戦力になりうる可能性があることも確かです。それとも昨シーズンの好投は長野の入団が背景にあったのかも。「あの時、上野でなくて長野にしておくんだった」と言われ続けた上野の意地だったのかもしれません。
上野貴久奪三振 2010年7月19日
上野貴久奪三振 2010年9月4日
上野貴久奪三振!2011年3月26日
中里篤史(29)
中里は上野と同い年ですが、巨人では内海とも同い年です。2000年のドラフトで内海はオリックスからドラフト1位指名を受けたのですが、中里は中日からドラフト1位を受けました。当時のドラフト雑誌を読み返してみると、ほとんどの人が絶賛しており、特に‘流しの’安部さんは大絶賛で、世代ナンバーワン投手との評価をしていました。
そのドラフト前の評判通りルーキー時の中里は凄いの一言でした。長嶋監督の最期のシーズンでしたが、9月の中日戦で中里が登板する予定であると聞かされたミスターは「楽しみですね~♪」と話していました。この時点ですでに150キロをに達していたそうです。将来は中日のエースになることが約束されていたような中里のルーキーイヤーでした。
しかし、2年目の春のキャンプで階段で転倒しそうになり、その際に右肩を故障、その後も再三故障を重ねるようになり、なかなか満足いく投球をできるようになりません。巨人ファンのロマン枠が辻内であるように、中日ファンのロマン枠は中里といった感じでした。2005年にようやく長いリハビリを終え、4年ぶりに一軍登板をしましたが、シーズンを通して投げるといったことはなく、常に故障と隣り合わせだったようです。
巨人とは2009年のオフに契約を結びました。中日を自由契約になり、一番早く声をかけてくれたのが巨人だったそうです。なんでも日本ハムも狙っており、声をかけてきたのは巨人に遅れること30分後だったとか。
巨人での2シーズンは、一軍登板が昨年に2試合のみと不本意なものだったかもしれません。以前に比べ、球威が落ちたままで、思ったような投球ができないでいるようでした。しかし、今シーズンは昨年に比べるとその球威もやや戻ってきていた気がします。今年、何度か144キロを出しているのを見たことがあるので、今後につながるかもしれません。
満足なコンディションならばまだまだ戦力になる投手だと思います。しかし、そのコンディションに持って行くことが投球以上に難しいのが中里のような気がします。本当にもったいない!まだまだ夢を諦められないファンも多いと思います。
中里篤史 2011年3月26日
上野はこれでプロでやっていくことを諦めたとしても5シーズンもプロでやれたのだし、一軍での登板も果たせたのでそれなりに悪くない野球生活だったように思います。自分の限界を試せたことでしょう。しかし、中里はこのままプロを諦めることはできないのではないか。誰もが認める才能を謳われた天才です。もしも可能性があるのなら、どこかでその才能を開花させて欲しいと私も思います。
それにしてもケガは怖い。中里は今の巨人でいえば宮國のような存在でしょう。それが、階段で転倒しそうになって再起不能の故障なんてしたら、多くの若手ファンが発狂してしまうかもしれない。どんなところに魔が潜んでいるか分かりません。選手たちには気を付けて欲しいと思います。
- favorite23 chat3 visibility698
-
navigate_before 前の記事
ソフトバンク日本一と巨人とのかかわり
2011年11月22日 -
次の記事 navigate_next
今年のルーキーたちについて2011 (3) 田中太一
2011年12月4日
- 事務局に通報しました。
chat コメント 件