巨人の育成制度がなぜ上手く行かなかったかを考える
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舎人
2013年02月18日 06:47 visibility2215
今年の1月早々、次のような記事がありました。
巨人「第二の2軍」わずか2季で解散…難しい「育成」理想と現実
「第二の2軍」は、育成選手制度導入に主導的役割を果たした清武英利前球団代表の強い意向で2010年、結成された事実上の3軍組織。「多数錬成」という育成方針の下、若手選手をより多く抱え、同時に実戦機会を確保することで「第二の山口」誕生の可能性を広げるのが狙いだった。
しかし、2年間で弊害も噴出した。ポジションには偏りがあり、当然故障者も出る。その結果、本職以外のポジションを守らせたり、故障者を無理に出場させるケースが頻発した。
対戦相手からは不満が出た。現場からは「試合もいいが、もっと練習させたい」との声も上がった。「一定の試合数をやるために、これだけの選手が必要だという(育成選手の)取り方もしていた」と原沢敦球団代表。育成の「手段」だったはずのチームは、いつしかそれを維持することが「目的」となっていた。
ピラミッド方式が確立されている米大リーグのように、全球団が3軍組織を所有していれば、より効果的な育成も可能だろう。だが資金面などの壁もあって、現実は巨人以外にソフトバンクが所有する程度。こうした状況下では、負担ばかりが大きくなった。何より2年間で1軍昇格を果たした選手ゼロという結果が重くのしかかった。
見直し元年
巨人は今年、育成選手を22人から13人に減らした。第二の2軍単独チームの編成をあきらめ、2軍の中に組み込んで育てる方針に改めた。松尾英治GM補佐は「レベルの高いところでやらせないと、うまくならない。山口、松本哲は早くから2軍の試合に出ていたから実力をつけた」と振り返る。いわば第二の2軍結成前の原点に返る形だ。
一方で、2軍公式戦後に練習試合を組むなど、実戦機会も極力減らさないよう、工夫する。原沢代表も「育成選手制度を活用して選手を育成していくという方針に何の変更もない」と強調する。
原沢代表は「第二の2軍が失敗だったかといわれると、わからない。もう少し我慢すれば、(スターが)出てきたかもしれない」と正直だ。実際、昨秋の育成ドラフト直前まで第二の2軍は存続させる方向だったという。それでも「私も、現場も疑問を持っているまま続けていいのか」と、予定より少ない2人の指名にとどめた。第二の2軍解散が決まった瞬間だった。
巨人とは対照的に、これまで育成選手を1人も抱えず「少数精鋭主義」をとってきた日本ハムが7年間で4度のリーグ制覇を果たしたように、そもそもチーム強化にはさまざまな道があり、だから難しい。「今後は育てるにふさわしい選手を取る。そういう意味では見直し元年。試行錯誤の一年になると思う」と原沢代表。連覇に挑む巨人の、もう一つの勝負が幕を開ける。
(平成25年1月11日 産經新聞)
そうかと思っていると今月頭の報知新聞には次のような記事が載りました。
巨人に「セカンドファーム」発足 第2の2軍並み試合数確保へ
巨人が、第二の2軍に代わり「セカンドファーム」をたち上げることが2日、分かった。大森育成部ディレクターは「昨年の第二の2軍並みの試合数は確保できる」と説明した。
昨年は2軍と第二の2軍で明確に練習スケジュールも分けていたが、育成選手が13人となった今年は制度を見直し全体練習は同じだが、2軍公式戦のイースタン・リーグとは別に、大学生や社会人を相手にした「セカンドゲーム」と呼ばれる練習試合を組む予定。
フューチャーズの試合と合わせ、60試合前後を予定している。
同ディレクターは「イースタンに出られない選手が中心になると思うが、みんなにチャンスが広がると思う」と説明した。
(平成25年2月3日 スポーツ報知)
第二の2軍や育成制度については私も大いに思うところがありました。今日はなぜ巨人の育成制度が上手く行かなかったかを私なりに考えてみたいと思います。
第二の2軍は確かに私も問題を感じましたし、酷い試合をしていると感じました。8月末に立教大との試合を見たのですが、チームとしてはるかに上を行っていたのは立教大でした。個々の選手の能力はほとんど差がないのかもしれません。しかし、戦いとなると走攻守全てにおいて立教大が上を行っているのです。特に酷かったのは守備の拙さで、記録に残ったエラーだけで4つありましたし、それと同数以上の記録に残らないミスが巨人側にありました。元々は捕手のはずの芳川がファーストを守ったり、二遊間の選手のはずの財前がレフトを守ったりしています。こんな布陣ではしまった試合を期待する方が難しい感じです。結局、この試合は4対11で巨人は立教大に大敗し、プロとしての意地を提示することはできなかったのでした。
当初、第二の2軍は「より多くの選手を抱えることによって、より多くの可能性を保有する」という清武さんの理想の下にスタートしました。発案者の清武さんは選手の才能を油田に喩え、優秀な油田を掘り当てるためには、多くの油田の候補地と掘削の機会が必要だと言っていました。つまりは多くの油田候補地を確保するための育成選手制度であり、可能性という油田を掘り当てるための出場機会確保のために第二の2軍の試合だったのです。
私はその発想自体は今でも支持したいと思っています。しかし、産經新聞の記事にもあるように、いつの間にか寄せ集めで体制が整っていない状態で試合を組むようになり、スキルアップのはずがいつの間にか試合をこなすことが目的になってしまっていた感じでした。石田さんのコラムにもありましたが、育成の選手たちは一様に危機感と不満を感じていたようです。このような閉塞感のある組織から将来のスター選手が生まれる可能性は限りなく低い気がしますし、こんなものを作ろうと思って第二の2軍はスタートしたのではないと思います。
多くの人が第二の2軍の廃止について、早過ぎるとか、我慢が足りないというコメントを発しています。また、12球団の総意でやっていかないと難しいという意見もあります。しかし、これは我慢をして待てばいいとか、対戦相手の問題か?もちろん、一因としてそれはあるのかもしれませんが、巨人の育成制度が行き詰まった理由はどうもそれだけではない気がしてなりません。私はもっと別の部分に問題があると思うのです。
これは前々から何度も話していることですが、問題は巨人の選手抜擢の基準にあると私は思います。茶柱さんとも常々話していることですが、メジャーの機構を真似て、選手を大量に保有する育成制度とは、名前に反して、育成よりも抜擢に肝があるのです。つまりは試合に出て結果を残した選手はシステマライズに抜擢されないと意味をなさない。どんどん試し、どんどん入れ替える必要があるのです。
私は巨人の育成制度が行き詰まった原因とは選手抜擢の基準を監督や首脳陣の主観に任せてしまったことにあるのではないかと思います。ファームでいくら結果を残しても、監督の値踏みが済んでからでないとなかなか昇格や抜擢がなされない。そのために選手の行き来が限られ、選手の大量保有の意味が失われてしまったことに端を発している気がしてならないのです。もしも、このような選手の大量保有の制度を成功させたいなら、システマライズに何の主観を挟まず、スムーズな昇格や抜擢がなされないと無理ではないかと思うのです。「ファームで結果を残せば必ず昇格しチャンスを与えられる」といった単純な図式です。
確かに一軍とファームとで選手の行き来が無かった訳ではありませんし、積極的に行われていただろうと反論されるかもしれません。しかし、そこにどんな基準があったのかということです。「なぜ、あの選手はファームで結果を出しているのに一軍に呼ばれないのだろう?」という素朴な疑問にはおそらく理由はあるのだと思います。しかし、もしも同じような疑問の選手が5人いれば、5人とも理由は同じではなく、まちまちではないか。そこには明確な基準ではなく、監督の主観や限りなく感覚的な理由でそういった選手の昇格や抜擢が行われているのだろうと推察されます。
このように話すと、また原監督の批判だと思う人もいるでしょうが、私が言いたいのはその是非ではありません。原監督という言わば全権監督を目指している人物にチームを預けるということは、選手の抜擢や昇格も原監督の主観で決められても仕方ないことであり、最初から理想を押し付ける事は無理だったのだろうということです。もしも、そのように事をシステマライズに行わないといけないような制度を導入したいなら、日ハムの栗山監督のような人を連れて来るしか無かったと思う。それが無理で原監督の下で始めるしかなかったのなら、原監督ととことんまで膝詰め合わせて話し合い、球団の方針に従ってもらうように説得するべきだった。もしかしたら、そういった話し合いがあったのかもしれませんし、無かったのかもしれません。いずれにしても、残念ながら両者は十分に理解し合えた上で制度はスタートできなかったのだと思います。
私は今の巨人に100%満足している訳ではありませんが、昨年日本一という結果を出している以上、これはこれでチームとして見事な形になっていると思います。だから今のチームで原監督の主観に基づいて全て事が行われても、それは見守るしかありませんし、球団も長期的展望に立った事以外は極力監督の意向を汲むべきだと思います。しかし、問題はポスト原の時代です。全権監督として有能な人物がチームを引っ張っているうちはいい。しかし、次に監督になる人物が有能とは限りません。そうなると人の主観や先入観を排除したシステムでチームをまとめて行った方が良いのではないか。原監督の時代がいつまで続くか分かりませんが、その時までに色々な制度を整備していた方がいいと私は思います。
育成制度の話に戻りますが、清武さんの導入した育成制度とは、とどのつまり、原監督のキャラクターを抜きにして清武さんの理想が先行してしまったために上手く行かなかったのだと思います。色々なことを考え、実行することは間違ってはいないと思いますが、先走り過ぎて周りが見えなくなってしまっては、いつの間にか誰も付いて行かなくなります。せめて原監督の時代は移行期間だと定め、じっくりと事を進めるべきだったと思います。「急いては事を仕損じる」ということでしょう。しかし、その理想自体を否定するべきではないと思います。チームの方針はその時その時で柔軟に変えて行けば良いものです。もしも今の形が監督の全権、もしくは監督主導型ならば、育成制度もそれに合った形に変化させればいい。そして、おそらく今回の「セカンドファーム」とはそういったチームの現状に近づけた育成の形なのだと思います。また、さらにはポスト原時代を見据えたシステム温存の意味も僅かながら感じ取ることができます。
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