斎藤佑樹について・巨人の焦り
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舎人
2010年11月23日 02:31 visibility3141
坂本たちの世代はハンカチ世代と言われています。
これはいくら田中のマー君が活躍してもマー君世代にならなかったように、
坂本が3割30本を打っても、マエケンが最多勝や沢村賞を取っても、
坂本世代やマエケン世代になりそうもありません。
4年間と言う短いようで長い時間が経っても甲子園のヒーロー斎藤佑樹は、
彼らの世代のトップランナーであり続けているということです。
それは成績がどうとかいう問題ではなく、
全ての野球ファンに斎藤の物語が深く刻まれていることによるのです。
これから先、成績で斎藤を凌駕する選手が現れるかもしれません。
しかし、この世代はずっとハンカチ世代と呼ばれて行く気がします。
高校三年生の夏の甲子園、引き分け再試合からの劇的優勝・・
これだけで1つの物語が完結しており、小宇宙が存在すると言われました。
しかし、これは斎藤の活躍の序章に過ぎませんでした。
高校卒業後、名門早稲田大学のエースとして投げ続けます。
そして、彼の周りにはまるで梁山泊のようにスター選手たちが集結します。
そういった個性の強い選手たちを主将としてまとめあげ、
東海大の豪腕菅野を相手に福井大石斎藤の黄金リレーで投げ勝ってついに大学日本一。
早稲田大学の悲願でもあった神宮大会初優勝です!
これは高校時代の甲子園大会優勝に並ぶ斎藤の偉業になりました。
まるで斎藤のサクセスストーリーの第2章のようです。
今までこういったベビーフェースはアイドルであると同時に、悲劇のヒーローでした。
元祖ともいえるのが1969年、青森三沢高校の大田幸司投手。
東北勢として戦後初の決勝戦進出、しかし試合は0対0のまま引き分け再試合、
翌日もたった1人で投げ続けるも2対4で敗退、
決勝戦だけで27イニング、準々決勝から45イニングを1人で投げ抜いた健気な姿に、
女子高生を中心に絶大な人気が集まり、社会現象にまでなったそうです。
1977年には華奢な体格と爽やかな笑顔から
「バンビ」と言われた愛知東邦高校の坂本佳一投手。
一年生エースとして決勝に進出し、東洋大姫路相手に1対1のまま延長戦へ、
しかし、ここで力つきサヨナラホームランで涙の敗退。
その悲劇性も加わって坂本の人気は大会後最高潮に達しました。
大田・坂本に続くのが1980年-1982年の早稲田実業の荒木大輔投手。
言わずもがな甲子園のアイドルの代表的な投手です。
一年生の夏の決勝戦進出から三年生の夏まで5期連続甲子園出場、
しかし、1年生の夏は決勝戦で横浜高校に4対6で敗退、
最後の夏も準々決勝、蔦監督率いる池田高校の猛攻にあって2対14で敗退しています。
この坂本・大田・荒木の3人は全て決勝に進出しながらも敗退しています。
その姿に判官びいきの日本人は共感し、歓声を送ったのでした。
3人とも普段は野球なんか見ない女性がファンとなり多くの歓声を送っていたのです。
その後、甲子園には桑田や松坂が現れましたが、
どうも上記の3人とは別のカテゴリーに分けられる気がします。
彼らが甲子園で優勝したからといったことではなくて、
女の子たちが夢中になるような王子様的な要素(ベビーフェース)が、
桑田にも松坂にも欠けていたからでしょう。
ベビーフェース=悲劇のヒーローというのは定説でした。
それを初めて覆したのが斎藤佑樹なのだと思います。
今までこんなアイドル的投手が優勝してしまうのは漫画の世界の中だけでした。
それが今、現実のものとなっているのです。
甲子園大会優勝、神宮大会優勝、この先プロでも日本一、WBCでも代表になり世界一、
そして渡米してワールドシリーズ優勝と斎藤のサクセスストーリーは続くのでしょうか・・
まるで斎藤佑樹という主人公の壮大な大河ドラマを見ているような気がしてきます。
少なくとも現在、“野球の中心”に斎藤がいることは間違いありません。
そこが主流派であり、その他は非主流派ということです。
長い間、球界の盟主や球界の中心的存在を自負してきた巨人にとって、
この斎藤の存在は大きな危機感に映っていることでしょう。
二桁勝てる投手は毎年現れるにしても、
斎藤のようなカリスマは二度と現れないかもしれない。
そんな思いに今さらながら思い知らされているのかもしれません。
先日、ゲンダイでこんな記事が出ていました。
「すいません」 [早耳聞き耳]
(2010/11/20)
ドラフトで指名された球団と仮契約を済ませた新人の話だ。
入団するチームの施設見学をした際に、
球団関係者から思わぬ言葉を浴びせられた。
「本当は斎藤クンが欲しかったんだよ」
斎藤クンとは、もちろん早大の斎藤佑樹のこと。
思わず、「すいません」と謝ってしまったこの選手は、
実力では斎藤を上回ると評価されている。
「斎藤が欲しかった」と言った球団関係者は、
「誰もがやっぱりコイツを指名してよかったと思うような活躍をしてくれ」
とケツを叩いたつもりかもしれない。
あるいは、ドラフト後もスポーツマスコミの話題を独占する
“ハンカチ王子”の人気と注目度を改めて痛感して、
本音が口を突いたのかもしれない。
いずれにしろ、大志を抱いてプロの門を叩いた矢先、
やる気に水を浴びせられるような言葉をかけられたこの選手は、
大きなショックを受けたという。当たり前である。
入った球団を間違えたと後悔してももう遅い。
1年目から斎藤以上の結果を出して見返すしかないが、
こういう関係者がいる球団に対する愛情は
早くも冷めてしまったことだけは間違いないようだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/5155396/
これはどこをどう読んでも澤村のことを話しているに違いありません。
この記事の真偽は定かではないものの、
巨人の球団関係者の心理を良く表していると思います。
自分たちの思っていた以上に斎藤に集まるマスコミや世間の注目に、
ついタブーを口にしてしまったのでしょう。
しかし、マスコミや世間の注目する「斎藤佑樹・ハンカチ王子」に
一番危機感を持って向かい合ってきたのは当の斎藤自身だったかもしれません。
21日に放送されたNHKの「スポーツ大陸」という番組は斎藤が特集でした。
その番組のタイトルは少し意外なものでした。
「“ハンカチ王子”と戦った4年間〜早稲田・斎藤佑樹〜」
http://www.nhk.or.jp/spotai/onair/247/index.html
この中で斎藤は絶えず甲子園で定着したハンカチ王子のイメージと戦い、
それを克服することに苦しんできたようです。
先の神宮大会優勝はようやく高校時代の自分のイメージ、
“ハンカチ王子”を克服したというものだったようです。
これから1年間、プロ野球は間違いなく斎藤を中心に語られることでしょう。
これは低迷が続く野球人気の回復に繋がる訳で、
全ての球団にとって喜ばしいことです。
その中で巨人にとっては自身の求心力低下をモロに感じることになり、
面白くないかもしれません。
しかし、巨人にとって必要なのは斎藤の人気をあてにして、
浮動票のような集客や注目を集めることよりも、
選手との一体感を持てなくなって離れて行った元のファンを取り戻すことです。
そのためには斎藤人気の影で地道に若手を鍛え、
次から次へと生え抜き選手が輩出される強いチームを作ることだと思います。
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