自由の本質

世間では早くも過去の話になりつつありますが、ドイツW杯での日本代表は残念ながら一次リーグ敗退に終わりました。
試合内容もかなり不甲斐ないもので、選手達の闘争心の無さを責める声もあります。相手の圧力を恐れてDFラインをズルズル下げたり、シュートチャンスでパスに逃げたり、という場面が随所に目立ったので反論できないところではあると思います。
ただ、これは選手個々だけの問題ではないですね。

昔、総合格闘技が流行り始めた時、雑誌にこんなインタビュー記事(誰のかは忘れてしまいましたが)が載っていた記憶があります。今後ブームが盛り上がり、より過激さを求めてノールールになるのでは、という質問に対して「全く制限がなくなると、人間は恐怖心から本能的に守備的になるので、試合自体が成り立たなくなるはずだ」と答えていました。
戦術=制限が無い状態でゲームに入った場合、失敗=死を恐れて消極的なプレーを選択することは、試合に人生が掛かっているプロサッカー選手にとっては本能と言えるかも知れません。多少大げさな例えですが、僕には選手達の『消極性』はそう見えました。

まあこれは程度の問題で、アジア相手であれば単純な実力差で勝てたでしょう。親善試合であれば強豪にもさほど恐怖を感じなかったかも知れません。
非常に皮肉な話ですが、それまで戦術的制約も無くプレーしてきたジーコジャパンがW杯本番で見せた戦いぶりは、その『自由さ』の発露と言えると思います。
そういう意味では、今回のW杯最終戦で『自由奔放な(本当にそれだけと言えるのか)』ブラジルに成すすべなく敗れたことは、ジーコジャパンの終焉に相応しい幕切れだったのではないでしょうか。

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