PK と 結果
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2007年04月08日 01:32 visibility88
2006 年 6 月 9 日から始まった予選 48 試合、決勝トーナメント 16 試合は、2006 年 7 月 9 日に終焉。この世界的に注目度の高い 4 年に 1 度の祭典は終わってみると、まだ 1 年もたっていないはずなのに、十数年前の事の様な気さえする。そして、今、このタイミングで W 杯の事にふれる人もいないだろう(笑
決勝戦を見た後、あまりのショックにしばし呆然とした。
この大会で引退を表明していたジネディーヌ・ジダンは、フランスがトーナメントを勝ち上がるたびに存在感を見せつけ、1998 年フランス大会で自国を優勝に導いた時の再来かと思わせるパフォーマンスを見せていた。もちろん、彼の全盛期は既に過ぎており、数年前に比べると運動量や スピードなどの衰えは隠せない状態ではあったが、それでも、それらを補う以上のテクニックと経験値を披露していた。
一方、イタリアはイタリア国内を揺るがすスキャンダルの真っ只中だった。そう、リーグ戦の不正問題である。ユベントスのルチアーノ・モッジ元 GM やアントニオ・ジラウド元 CEO らが主犯とされており、試合の審判を買収、脅迫する事で、自チームに有利なジャッジを行うように操作していたという事件が起きた。(Wikipedia の Calcio Scandal の項で詳しく書かれてますので、詳しくはそちらを。)
9 月からの自国リーグの開催さえ危ぶまれている状態の中、チームはモチベーションを維持し、団結力を発揮し、決勝まで勝ち上がってきた。イタリアの決勝進出は、アメリカ大会以来(その試合は PK でブラジルに敗戦)である。
試合は、開始直後から浮き足立つイタリアにフランスは容赦なく攻撃。前半 7 分に、イタリア DF マテラッツィがマルダを倒してえた PK をジダンが決めてフランスが先制する。
この試合の主役はジダン。彼は再び英雄への扉を開けようとしていた。フランス W 杯優勝、ユーロ 2000 優勝、バロンドール獲得、ユベントスからレアルマドリーに移籍したシーズンには CL 優勝。現役最上、世界最高の選手と言われてもこれだけタイトルを獲得した選手はあまりいない。
イタリアもなんとかセットプレーから反撃の機会をうかがっていた。
前半 19 分、ピルロからの CK を、この試合でもう 1 人の主役となるマテラッツィがヘッディングでフランスのネットを揺らし同点とする。
両チームともゴール前までは行くが、寸前の所で DF がカットし、クリアし、得点を許さない。36 分には、トニが CK のボールをヘディングし、得点の予感を感じたが、惜しくもバーをたたく。その後も、一進一退の攻防が続くが得点には至らずに前半終了。
フランスのプレス後半になり、更に厳しくなった。その結果、試合の主導権はほぼフランスが握る形となり、攻め続ける。しかし、得点まであと一歩の 所まではいくが、得点は生まれない。イタリアは後半 61 分に、トッティとペロッタを変え、デロッシとイアクィンタを投入し、悪い流れを変えようと試みたが、大きな変化にはならなかった。イタリアは、フランスの プレスをかいくぐる事ができず、ただ耐えるのみとなり、ひたすら我慢の時間が続き、後半が終了。試合のスコアは 1-1 で、延長戦に突入する。
延長後半 5 分にそれまでの均衡が一瞬にして崩壊する。主審からジダンにレッドカードが出されたのだ。テレビ中継を見ている人は何が起こったのかがまったくわからないまま静観するしかなかった。
VTR の再生を待ち、ようやくレッドカードの真相がわかる事になる。映像は、マテラッツィがジダンのユニフォームを引っ張っている所から再生される。ジダンがマ テラッツィに背を向けて小走りし、2 人の距離が離れようとした瞬間にジダンはマテラッツィのいる方向に向き直り、マテラッツィの胸に頭突きをした。マテラッツィは頭突きをくらうと後ろにひっ くり返り悶絶する。
この映像は W 杯の試合終了後から現在まで、テレビで何度も繰り返し流れ、WEB では、動画サイトに UP されたり、ジダンの頭突きゲームなる FLASH まで作られる事になる。W 杯を Live 中継していた全ての国にこの映像が流れた。
ジダンの一発退場で、イタリア選手達は当たり前すぎるジャッジに納得し歓喜した。フランスは 10 人になり、それまで攻撃の起点となっていたジダンがいなくなった事でフランスから試合の主導権もなくなった。そして、ジダン退場の熱気が冷めないまま、試 合終了のホイッスルが吹かれ、試合は PK 戦に・・・。
イタリアは、同点に追いついたものの PK への不安は拭いきれなかったであろう。2002 年の韓・日共催大会こそ、PK 戦で敗戦しなかったものの、1990 年イタリア大会から、3 大会連続での PK による敗退。
「守備王国と言われ、カテナチオと言われているイタリア代表も PK では勝てない」これが世界中でサッカー評論家なる人が口を揃えて言っていたイタリアの PK に対する評価であった。当然、この試合も例外ではない。
イタリア先攻で PK 戦が始まる。
ピルロ(ITA)→ウィルトール(FRA)→マテラッツィ(ITA)まで順に決め、フランス 2 人目トレゼゲ(FRA)のキックはバーに阻まれ、失敗に終わる。スコアは (ITA) 2-1 (FRA)
その後、デロッシ(ITA)→アビダル(FRA)→デルピエロ(ITA)→サニョル(FRA) も成功し、イタリア 5 人目はグロッソ(ITA)。決めれば、イタリアの優勝となるキックで、この大会、イタリアのラッキーボーイと言ってもいい活躍をしている彼はその役目通 り、プレッシャーのかかるキックを決め、W 杯ドイツ大会はイタリアの優勝で幕を閉じた。PK スコアは (ITA) 5-3 (FRA)
試合後、ジダンがマテラッツィに何を言われたのか、マテラッツィがジダンに何を言ったのか?など世界中のメディアが報道を続け、読唇術の専門家が 分析する事態にまでなった。ジダンは会見で家族の事を侮辱する事をマテラッツィに言われたと記者会見を開き説明したが、細かく何を言われたのかの言及はな かった。
世界中のメディアは、マテラッツィとジダンを報道し、1 日 1 日が過ぎていくにつれて、報道も沈静化していった。
ジダンは静かにユニフォームを脱ぎ、マテラッツィはこの試合で時の人となった。(本まで出版したみたいです 笑)
抜群に知名度を上げたマテラッツィはそのままの勢いで、イタリアリーグに望みシーズンを通して活躍をしている。相手に頭突きをさせてしまう発言が できるプレイヤーというのはある意味すごい。余談だが、2007 年 1 月 28 日のサンプドリア戦で、マルコ・デルヴェッキオにも頭突きをされるという現役選手の中でも 1 年たたないうちに 2 回も頭突きをされる稀な選手となり、更に知名度を上げたと思われる(笑
ジダンやデルヴェッキオを挑発した事は、普段の試合を見ていればわかる。彼はそういうプレイスタイルであり、相手への挑発はサッカーの一部でもある。(狡猾にプレイすることも必要という意)
そしてジダン。フランス大会の予選でも彼は相手選手の執拗なマークに苛立ち、倒れた選手を足で踏みつけるという愚行をしている。その後、2 試合の出場停止後に復帰し、チームを優勝へと導き、全てを忘れさせる興奮をサッカーファンに与えてくれた。サッカー界にこれだけ貢献した選手の最後にこう いう結末が待っているとは、誰にも予測のできない事だっただろう。ジダン自身は色々といいたい事なんかもあるのだろうが、引退しても寡黙さを貫いている。
試合中に相手選手に暴力をふるう事は、どのスポーツにおいても許される行為ではない。今後、こういった事が大きな大会で起こらない事を願うが、ジダンには拍手を送りたい。
愚行はしたが、ドイツ大会の MVP がジダンだったのは彼にとっては皮肉な賞だったのかもしれない。しかし誰が見ても一番輝いていた証でもあると私は思う。
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- 事務局に通報しました。
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