
「雨ニモマケズ」byDF
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ママドーナ
2009年03月21日 15:39 visibility101
私は学生時代、日本文学を専攻していた。
ということで今回は趣向を変えて、
有名な宮沢賢治の遺作「雨ニモマケズ」をネタに日記を書いてみようと思う。
まず原文は以下のとおりである。(※読点(、)は私が勝手に打ったもので、原文にはない)
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ、ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ、小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ、行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ
サウイフモノニ、ワタシハナリタイ
さてこの詩、かなり宗教的というか、究極の滅私奉公を描いた内容であり
欲張りで野心家で俗世間にどっぷりだった若き日の私には到底理解できない内容だった(笑)
だって、他人を思いやっていいことをしても「褒められもせず」
困難に直面したら「涙を流したりオロオロ歩く」だけ
しまいには「デクノボウと呼ばれ」
・・・アリエナイでしょ。
しかし、年齢を重ねた今、宮沢賢治の気持ちが少しわかってきた。
「自分が自分が!」という前のめりな欲は決して良いものではないし
「他人を思いやること」は見返りを期待するものでもない。
それにフツーの人間は天変地異には逆らえないものだ。
「褒められる」ために善行をするものではなく、
むしろ「苦にもされない」(=余計な心配をかけない)ことが素晴らしい。
「サウイフモノ(そういうもの)」のポジションはサッカーで言えばDFだろう。
雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体を持ち
余計な欲は無く、決して怒らず、いつも静かに笑っている
一日に玄米4合と、バランスの取れた主菜・副菜を食べ
あらゆることを、自分を勘定に入れずに
よく見聞きし判り、そして忘れず
野原の芝のピッチの上の、バックラインの辺りに居て
東にドリブルで切り込むMFあれば、行ってボールを奪い
西に疲れた味方あれば、行ってそのポジションをカバーし
南にシュートを打ちそうなFWあれば、行ってシュートコースを消し
北にスルーパスが通りそうなときは、お見通しだからインターセプトし
悔しいときは涙を流し、試合が終わればフラフラ歩き
みんなにデクノボウと呼ばれ、褒められもせず、(でも)苦にもされず
そういう者に、私はなりたい byDF
そう、本当に上手いDFはプレーがさりげなすぎて素人目には目立たないものだ。
攻撃参加を除いてはね。
しかし改めて考えると、私にDFは絶対ムリ・・・
- 事務局に通報しました。
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