「オーラの泉」より

昨日、雨天につき、
少し昔にヨメが録画していた「オーラの泉」シュンスケ編を、見た。
僕自身は、「オーラ」をそれほど見る方ではないのだが、
ヨネが、いや間違えた、ヨメが好んで楽しんでいる。

で、その中味の話、
スピリチュアル的(的をつけるな!)な話はどうでもいいのだが、
シュンスケという日本の10番に対し、辛口で期待する僕は常に、
「ネガティブ過ぎる!、思い切りが悪い、髪を1回坊主にでもせぃっ!」
などと言ってきたワケだが、(ホントに髪切れなんて言ったか!? 笑)
結局、シュンスケ自身がその番組で語っていたように、
「人見知りが激しい」→クラス替えなどの時も自分から中心にはならず
→様子見して見定めてから輪に入る→臆病でもあり慎重でもある
→そしてスピリチュアル診断みたいなのでは「もう内向きの反省はしなくてもいい」
というような話になった。

番組否定とかそんなんじゃなく(笑)、
シュンスケがネガティブ傾向あるのは見てれば皆知っていると思うし、
それは別に番組見なくとも分かることだし、
シュンスケ自身も自分で分かっていることだろうと、そうも思う。

臆病で慎重なことも、マイナス評価では勿論なく、
謙虚さであったり用心深さであったり、
洞察力であったり、良い作用もたくさんあるものだ。

番組の影響でどうこう思わされたワケではなく、
シュンスケへの僕自身の評価が変質させられたワケでもないのだが、
ドイツW杯でシュンスケに対して思ったことを、改めて感じたワケなのである。

お前が日本の10番なんだろ?
様子見して、引いた位置からポジション取って、
お前がビビってどうすんだよ、ということである。
お前のプレイの調子が、10番の動きっぷりが、
チームに響くんじゃないの、相手を脅かすんじゃないの?、
10番でそういう存在であり、使命と責任を背負ってるんじゃないの?、
ということである。

体調云々もあったかもしれない、過去のトラウマもあったかもしれない。
最悪の状況から想定してイメージを組み立てるタイプであれば、
養親深く、守備に自分を殺すことを考えるのも必要なことがあるかもしれない。

でも。
エースが体を張ることの大切さは、
削られるくらい躍動すること、削られても立ち向かうことは、
精神論だと評されようとも、絶対に必要なことだろう。

ニッポンの場合、それが最後までナカタであったことが、
(ナカタがやるしかなかったこと、あるいは、
 ナカタが他にそれを譲らなかったこと、など色々な意味があるが)
致命的な「欠陥」だったのだろう。

黄金世代のワールドユースとて、シンジがその役目を担ったからこそ、
シンジがいつも通りに相手を翻弄するからこそ、
俺も、俺にも、俺たちにもと、
そういう循環がめぐってきたのだろう。

その意味で言えば、シュンスケを「擁護」もする意味で考えれば、
トルシエによる落選で、シュンスケは1回分、
経験が不足していたせいであるのかもしれない。
日韓で世界大会の真剣勝負を一度通り過ぎていれば、
(コンフェデなんぞとは「気持ち」の入りようが違う真剣勝負のことだ)
ドイツでの彼の立ち位置が違ったかも、しれない。
二年目から本来の本領を発揮することが出来た海外経歴を見ても、
シュンスケの場合、立ち位置は重要なファクターなのだろう。

シュンスケに限らず、誰しもある程度は、
ジーコもプラティニもマラドーナもバッジョもロナウドも、
苦渋を呑んだり、脇役であったり、挫折を思い知らされたりして、
飛躍に至っているものだ。
その意味で、シュンスケの落選の挫折は確かに大きかったけれど、
もっと違った形で、壁に跳ね返される経験を、積ませるべきだったのかもしれない。

オーラの中でシュンスケ本人が言っていたが、
大会ギリギリまでずっと代表に入っていて、本番で初めて外れた、
と言っていたが、ギリギリまで10番の選手は、
やはり外すべきではない、あるいはそれなら10番にはしない、
という考え方も、
結果的に日韓大会は「成功」の部類に入ったがために、
シュンスケ自身の悲劇に終わったが、
4年後に大きな「揺り返し」が来ることまで予測した視野を思えば、
大いに議論すべきだったのかもしれない。
センセーショナルで同情を寄せたくなる、
メディア好みのストーリーで終わらせることなく。

CL派とW杯派、の話しにも繋がり、そこに戻ってしまう議論の寄り道ではあるけれど、
誰しもが、挫折や屈辱や後悔を抱えて、大きな壁に跳ね返されて、
飛躍に至っているという、その話。
それがやはり、4年に一度の大会の難しさなのであろう。

自分の選手生命の中で、
そのピークが大会の年に合うかどうかも分からないし、
次のチャンスは巡っても4年後であると考えれば、
プレッシャーに圧し掛かられ、緊張感を強いられる。
CLと違い、毎年ある大会でもなく、
チームが代われるワケでもない。

そこに、選手の人生の、もっと言えば選手「生命」の、
輝きが凝縮され、密度の濃い思いがぶつかり合う。
だからこそ、真剣勝負の度合いとしてW杯、なのである。

戦術の熟成度や、ハイレベルな個々のプレイヤーとその技術の結集よりも、
それらが満たされないために、だからこそ補うべく、
必死に戦う気持ちが強くこもった、生命を賭けた戦いが、
僕にはCLよりもW杯なのである。

クラブレベルでも、似たようなことは勿論ある。
今のこのチームで、この仲間たちと出来る戦いの中で、
その「一期一会」のチャンスの中で、勝ち取りたい、喜びを共有したい、
そういう思いも、恐らく同じものである。
Jリーグで言えば、フリューゲルス消滅の天皇杯などは、
その最たる例であろう。

というワケで話がズレたが、
今とこれからの代表の中でシュンスケが立つ場所には、
間違いなく大きな影響があるだろう。
あるいは、そのシュンスケを超えて存在感とリーダーシップを示すエースが、
必要であるのかもしれない。

シュンスケに限らず、「遅すぎた覚醒」とならぬことを、
負けてから学ぶ前に、日本代表の未来のために、
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ことを、
それが、「100年構想」という積み重ねが示唆する、
歴史の重みであるのかもしれない。
僕らがよう言う、南米の選手とは遺伝子が違うんちゃうか!?(笑)、
的な差異である。

今回は日記とブログ、同じ中味です。
すんまそん♪
昨日・一昨日のJーグは今、書いてます。これから書きます(汗)
でも週末に、【ナンバー誌を喰らう】をUPしたので、
興味ある方は、どぞ☆
カントク論、みたいなカンジっすかね。
『Road to PK BAR(仮名)』
http://wearecrazy.exblog.jp/

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