路地裏の少年

  • マッキ
    2011年07月30日 20:19 visibility45

浜田省吾の札幌ライブで、「路地裏の少年」の曲がなかったので、

自分の中で永遠に続く詩と実感しています。

また、勝手に卒業したかなとも思っています。

 

1番の詩、16歳、遠い空を憧れたと。

 

4番の詩、行き止まりの22歳をやっと超えたかなあと。

 

「J.BOY」を卒業できそうな状態かなあと。

~太陽中つけ抜けたいはOK。

受け止めろ孤独ってやつを、吹き飛ばせそのむなしさってやつを。

野球ではOK。

 

ひとりのアーティストに傾注するといいと村上春樹氏が、エッセー

で書いていたことを思いながら、唯一、文学とかじゃやなく、音楽

で、浜省にはありました。

 

「J.BOY」のあと、浜省の父がなくなった88年に、完結編として、

詩を出しました。

 

「路地裏の少年」、「J.BOY」と続いて、少年の完結編でした。

 

でも、05年に「I am  a father」を出し、まだまだ続いていることを

実感しました。

 

前置きが長くなりました。

 

08年に、「I am a father」のDVDを見て、野球をすべきだと

感じていました。(少年と大人、親父(子供は自分にはいない

けど)野球の姿がありました。浜省の野球のDVDです。

仕事上の経験が多々ありながら、野球の記憶が自分に残って

いました。)

今だから、言えますが、10年に行動を起こそうとして、すぐに

きっかけがありました。

 

今の自分は「J.BOY」を超えるかどうか、の状態です。

 

好きな野球ができる、今、最善です。

 

浜省の泥臭さ、等身大、自然と、自分にとっては、野球できる

上で最高な状態です。

 

ひとりの野球選手、アスリートがいなかったのは、しょうがない。

 

今は、ファイターズの選手を見て、時期は違うけど、見ています。

 

稲葉、賢介、小谷野、陽、中田と。

(だぼはぜのように食いついて、自分の打撃を求めていることを

身近に見いています。多少、何故?と思いながら、ライブで、

見て、今、なーんとなく実感しています。)

でも、07年の7月に、試合前の打撃練習を生で見る機会がなければ

?!。稲葉と賢介がともに、きれいにセンターにしかいかない打球を

がんがん放っていました。(今、やっとあそこだと実感しています。)

ヒルマン監督との接触に奪われ、少しだけ稲葉と賢介の打撃を見ました。

 

ヒルマンは、書き込んだかしれませんが「柔和な表情、目で、勝負師

オーラ」の感覚があしました。

 

笑いながら怒る、竹中直人のギャグが現実にありました。

心底やわらく、信念、勝負師でした。

目が語っていました。

 

野球に深く、楽しみます。

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