日々記す(8月29日~)

  • マッキ
    2011年09月02日 00:31 visibility42

今週は、30日の試合で、DHでした。

送りバント2個と、三振でした。

 

何故、20日の試合にバントをできなかったか?

これから、いろいろと今年の試合での糧が出てくるとは思いますが、

今は、この試合でした。

驕れるもの久しからずです。

リベンジに燃えて、死球、適時打をできて、その後正直に恐かったです。

試合の流れを見ていなかったです。

無死1,2塁を理解できていませんでした。

2-0からでも、バントするより、見送りが全力でした。

 

30日の試合で、無死2塁で、1塁にいなかったこともあって、高目の球を

見送りました。追い込まれて何とか、バントできてよかったです。

ファールラインから自分の気持ちが伝わったかのように、インフィールドに

入ってきました。思わず、見とれていました。すみません。

次の打席は、無死2塁、2-0から相手投手が、バントをやらせるようにきました。

ここの体験すごく貴重でした。

 

このことは、バントだけでなく、相手投手との駆け引きをなーんとなく、先っぽ

だけ知った感じがしました。

 

2-0からのからくり、すごく相手投手は、考えていることを感じます。

 

結論的には、自分は、ファーストストライクから打つことだと実感しています。

粘れる技術はないから、初球から一発で仕留めることだと、だいぶ前にも

書いたことです。

ストライクだけど外の球は嫌だと見送っていては、いけないことだとやっと、

実感しています。

そんな「気持ち」だと、肝心の甘い球はすべて1塁側のファールにしかなりません。

 

まだまだ、竹中直人的に、怒りながら笑う状態ですが、怒りだけで打撃をして、

あとから笑いたいです。

 

三振しても、8月13日の打撃練習でしたあの感触だけは、貫きたいと思います。

タイミング遅れ気味で、最後にバットのヘッドがかえって(かえったのもわからない

くうらいに)、体が軽くなって打球が飛んでいる感覚、最高でした。

 

そのためには、究極の選択なのですが、今は、敢えて、投球のスピード感に慣れる

ことだと思っています。そして、遅い球をしっかりとひきつけることにいければいいと

思っています。

ここ1か月は、速い球を打って、その後、しっかりと引きつけて基本に戻ればいいと

思っています。

(おそらく、ひきつけて打つ感じをつかむのは基本だし、そこから速い球に向かうのが

いいと思います。自分は、速い球に慣れて、その後基本のチェックをします。5月に、

チームの練習で、遅い球を打つ(ロングティー)の練習もありです。)

 

あと、駒大岩見沢出身の同年代の方が、ビデオを撮っていて、自分の打撃を分析

していただいたのも大きいです。

自分は、しっかりとインパクトまで、球を見るけど、スタンスが広いので、狭めたら

体のキレが増すと感想をいただき、納得していました。

 

バッティングセンターで、おたくするわけでもなし、試合で打撃、攻撃するのが目的

なので、速い球への反応がすべてです。

 

バッティングセンターで、平気で、バントを6セットもするし、見送りもします。

まだまだ、見送りが足りないような気がします。

 

ファンスタは一度、高さをあわせると一定になり、左右だけは打席の位置を変えて、

外内と確かめられます。

 

最近いっていない、スラカーズか?

荒れすぎて、まともにいたら、半分くらいは、見送ります。

 

打撃、攻撃は普通でいたら実践しか頼るところがないと実感しています。

(プロで、バント練習するにしても、150Km/hや140Km/hではないとの昨日の

元ロッテの初芝の見解とおりです。)

 

攻撃で一番難しいのバントか?

 

高校時代に両方、バント主義と打撃主義を経験しているので、あらためて

この旅に、考えそうです。

箕島と池田で同世代で、経験して、みています。

 

二死になっても3塁に走者を送るのと、8番打者でも本塁打を放つ野球と。

 

いずれも、温故知新があってのことで、野球ということですごく納得しています。

 

8番打者が、甲子園で本塁打を放つ野球は、その前に、数々の試行錯誤が

ありました。

イレブン、11人の選手の甲子園での活躍と、そのあと、すごいどろ臭い試合を

した池田の監督が、バントしても、何もしても繋がらないから、監督が悪いと

すべて打つ、としか策はなかったというのをS52,3年頃にTVで見ました。

 

その後のS57年、打撃がよければ、守備もと。打撃練習がよければ、それを捕る

守備はよくなるとの見解でした。

(間違いなく、S52、3年のあの、何を采配しても裏目にでるから打ての気持ちだと

思いました。)

 

確かに自分の高校3年の夏、S57年は、池田の打撃がすべてでした。

自分たちが使っていたバットも、確かにすごい変わり方に驚きました。

 

ビックボンのバットだけ、いまだにあの衝撃は、忘れません。

 

でも、S57年の甲子園の試合をTVで見ていて覚えているのは、

佐賀商の新谷がノーヒットノーランしたことです。

自分の高校の野球も終って、親戚のいる長野県に遊びに行って

いて、たまたま見ていました。

 

荒木が負けたとかどうでもいいし、既に高校野球が終った自分にとって

野球を見るのも嫌でした。

(それ以上に、次の人生のために、高校の学生会館に通っていました。

そこで、捕手だった千崎が投手で野球したいと、ブルペンで相手をしました。

明治に2部で入り、広沢のたばこの火をつける役で終りました。)

 

池田の決勝の相手も正直に、いまだ覚えていません。

とにかく、打ちまくり、強かった印象だけ残っています。

あとは、新谷のノーヒットノーランの印象(あんなので・・・)でした。

 

おれも、先のことがあるのに、高校3年の夏、ふたをしていましたが、

いろいろと思い出すものがありました。

 

捕手でもあぶないのに、だからか、投手でか、想いを焦がしたからか、

また燃焼したい気持ちだったと思います。

立教のセレクションにも出向いて、しがみつくように明治の二部に入って、

朝から夜間まで練習していました。(明治と法政の違いがわかっただけでも

おもしろかったです。)

 

エースは、見向きもせず、筑波だったです。立正とかいくつかお呼びが

かかっていいましたが。

ロッテの入団試験も試しに受けて受かったけど、見向きなしでした。

 

日記の半分は路地裏の少年でした。

 

こうしていろいろと野球をしていたひと、している方と接すると、生き涯を

感じます。

 

野球が好き、単純じゃないし、誇りと重さを実感します。

 

野球で飯を食う以上に、野球好きで野球してる自分に誇りを感じています。

 

バッターボックスの中、せこく動く自分は、誇りとは違うような感じがするので、

自分の経験してきたストラークゾーンにこだわります。

 

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