☆古都の伝統校放浪記~京都商・京都学園・沢村栄治~


京都市内の西北部に位置し、京都市の11区の中では最大の面積で、区の南部は古くは都の皇族や公家の別荘が点在していた右京区に、京都学園があります。
京都学園は1925年(大正14年)に京都商業学校として創設された。その後、校名が京都商を経て現在の京都学園と変わっている。
野球部は1930年(昭和5年)に創部され、伝説の名投手である沢村栄治をはじめとする多くの名選手を輩出している。

夏の予選への初参加は1930年(昭和5年)第16回大会予選で、京都府内では京都二中、京都一中、京都師範、京都一商、同志社中、京都美工、京都五中、立命館中、東寺中、京都染織、平安中、京都中、京都薬学、東山中、宮津中、京都二商、聖峰中、福知山中、紫野中、大谷中、桃山中、福知山商、舞鶴中、京都商実に次いで、伏見商と共に参加した。
初の予選は、舞鶴中に 1-13 と大敗し厳しい船出となった。
夏の予選初勝利は1932年(昭和7年)第18回大会予選で、伏見商を 12-0 で破っての勝利であった。
そして、1933年(昭和8年)の春、第10回センバツ大会において沢村投手を擁して初の甲子園出場を果たした。甲子園では、関西学院中、大正中を破り8強へ進出したが、明石中に 1-2 で敗れた。
翌年の1994年(昭和9年)第11回センバツ大会にも連続出場を果たしたが、2回戦でまたしても明石中に 1-2 で惜敗となった。
その年の夏、第20回夏の大会京都予選で、大谷中、桃山中、京都一工を破り、準決勝では平安中に 1-3 で敗れはしたが、京津大会へ進出。
京津大会では、膳所中、京都一中を破り、決勝では京都予選で敗退した平安中に 7-0 と完勝して初めての夏の甲子園の切符を手にした。
しかし、初の夏の甲子園では山陰の雄こと鳥取一中に 1-3 で敗れた。
京都学園の夏の予選通算成績は、175勝68敗、優勝11回は龍谷大平安の33回に次ぐ成績である。


京都学園は1986年(昭和61年)第68回夏の大会を最後に甲子園から遠ざかっている。
その時の校名は、京都商であった。
新校名での甲子園出場はいつになるのか、偉大な先輩沢村投手も待ちわびていることであろう。





以上です。

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