☆“伝統の一戦誕生の地”
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鶴丸 深志’
2011年06月01日 00:00 visibility768
わたしは絵が好きで、よく美術館に行きます。最近、蛙を描写した絵を探しています。なぜ蛙かと申しますと、わたしは小学校時代は生き物係、中学・高校時代は生物部、大学・大学院時代は生物学科で蛙の生態を研究していたからです。
ただ、蛙の絵はなかなか見つかりません。先日、やっとの思いで蛙の絵がある場所を見つけました。蛙の絵は、カ・エ・ルの字の真ん中にありました。
皆様御機嫌如何ですか?歴戦の雄です。
さて、本題です。
前回は巨人軍初Vの原点の地、前々回は巨人軍発祥の地を訪ねたわけですが、今回は伝統の一戦である巨人・阪神戦の誕生の地を訪ねました。
ここだけの話、2009年6月にMr.Blackさまがこの地を訪ねていることは内緒です。
http://labola.jp/diary/6749566
東京の東部に位置する人口約462,000人の江東区に洲崎球場がありました。この場所を分かりやすく言うと、江東運転免許試験場の向かい側です。
この地にプロ野球(職業野球)の専用球場があったことを知っている野球ファンもあまりいないことでしょう。
東京巨人軍が設立されて以降、各地にプロ野球団の設立が相次ぎ、大阪タイガース、名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、大東京軍、名古屋金鯱軍と7つのチームが結成され、1936年(昭和11年)から全国規模の公式戦が始まった。
しかし、その当時本格的な野球場は甲子園球場のみで、その他は鳴尾球場や戸塚球場(早大)などの中規模球場が使われていた。東京に大きな野球場の必要性が強まり、急遽ガス会社の資材置き場だったこの場所に、洲崎球場が建設された。
完成は1936年10月で、この年に発足したプロ野球公式戦の決勝戦、巨人(東京巨人軍)-阪神(大阪タイガース)の洲崎決戦が行われた。これ以来、巨人と阪神は毎年のように優勝争いの熱戦を繰り広げ、この対戦が「伝統の一戦」と呼ばれるようになったのだ。
以下、碑文をご紹介いたします。
「伝統の一戦(巨人・阪神)」誕生の地
洲崎球場跡 新砂1丁目1・2付近
洲崎球場(別称・洲崎大東京球場)は、日本プロ野球草創期の野球場で、昭和11年(1936年)2月に日本で6番目に結成されたプロ野球チーム「大東京軍」の本拠地でした。
プロ野球結成への気運は、昭和9年開催の日米野球で高まりました。同年12月に大日本東京野球倶楽部(現在の読売巨人軍)が結成されると、東京、大阪、名古屋に相次いでプロ球団が誕生し、昭和11年には7球団によるプロ野球公式戦が開始されました。
しかし、東京にはプロが使用できる野球場はなく、在京球団の本拠地建設が急がれました。そのため、洲崎球場はわずか3ヶ月ほどで完成し、秋のシーズンの最後を飾る「東京第二次リーグ戦」が開催されました。
シーズン終了後には、巨人とタイガース(現在の阪神)による初のプロ野球日本一決定戦(3連戦)が開催され、沢村栄治投手擁する巨人が初代王座を獲得しました。
この試合は、日本プロ野球史上屈指の好ゲームといわれ、洲崎球場が最も輝いた時でした。現在でも「伝統の一戦」といわれる両チームの熱戦は、ここから誕生しました。
日本プロ野球の歴史を刻んだ洲崎球場は、昭和13年の3試合を最後に閉鎖されました。わずか3年とはいえ、日本プロ野球界繁栄の礎を築いた貴重な野球場跡として記録に残すものです。
平成17年2月
江東区教育委員会
以上です。
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