☆全国中等学校野球史(36)~香川~

香川県で初めて野球が創部されたのは、明治29年の高松中(高松)であった。その後、明治30年には丸亀中(丸亀)、明治42年には香川商(高松商)、明治43年には大川中(三本松)で創部され、盛んに対抗戦が行われた。
大正4年の第1回全国中等学校優勝野球大会四国予選には、香川県から高松中、丸亀中、香川商、大川中、三豊中(観音寺一)の5校が参加し、高松中と香川商の決勝となった。
この試合は乱打戦となり延長に突入、延長10回に両チームが2点ずつ取り合ったところで、香川商の投手が疲労のために棄権し、高松中が四国代表となった。
大正7年の第4回全国大会四国予選の決勝戦は丸亀中と愛媛県の今治中(今治西)の対戦となった。この試合は丸亀中が大きくリードしていたが、丸亀中の選手が今治中の一塁手にスパイク、流血の参事となり、観戦していた香川県知事が強制的に試合を放棄させた。これにより、翌年は香川県勢は四国予選に出場することができなかった。
以降、香川県勢は愛媛県勢と四国の代表の座をめぐって激しく競いあった。


初代表校
高松中(大正4年夏)(現・高松)

初勝利校
香川商(大正5年夏)(現・高松商)

最高成績
優勝

春夏通算成績
122勝119敗

最多勝利校
高松商 54勝





以上です。

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