☆トリプルクラウン~落合博満~
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鶴丸 深志’
2011年10月15日 16:56 visibility540
朝食で食パンを一口食べたらのどが痛かったので、イソジンでうがいをしたところ、口から出したイソジンが藍色的に変化していました。
あっ!そういえば中学の頃に、デンプンにヨウ素液を垂らすと色が変わった的な実験をしたなという記憶がよみがえりました。
そうです。これは、イソジンに含まれているヨウ素が食パンに含まれているデンプンのらせん構造に入って光を吸収する為に起こる現象なのです。
同時に、そういえば中学の頃に落合博満選手の打撃フォームを真似していたなという記憶もよみがえりました。
わたしは野球部には所属していませんでしたが、中学一年の二学期頃、休み時間に野球部の仲間二人と全く使用されていない教室で、ほうきをバットに代え、発砲スチロール箱の角を丸く切り取り、セロハンテープを巻いてある程度重みを付けたボールで野球をやりました。
ルールは野球盤のように、アウト、ヒット、二塁打、三塁打、本塁打のゾーンを決め、スリーアウト制で投手と打者を交互に行いました。
それが楽しくて、その後は三人でリーグ戦形式にして、順位は勿論、打率や本塁打数や防御率も出すようになっていました。
わたしは、右で打つときは落合、左で打つときは篠塚の真似をして、右に左にヒットを量産しました。
投げるときは、西本聖、平松政次のイメージでシュートを多投しました。
発砲スチロールのボールはやや腕を下げて投げると、びっくりするぐらいシュートしながら落ちました。
そのうち、我々がこんな馬鹿な事をやっているのが、クラス全員に知れ渡りました。
でも、誰一人として先生に告げ口する人はいませんでした。
むしろ、学級委員とか一部の女子までも少しやりたいといって来ました。
一ヶ月くらい経ったある日、たまたま見回りをしていた先生に我々の室内野球が見つかり、思いっきりぶん殴られました(笑)。
それでも懲りずにできる範囲で警戒しながらやり続けました。
もう、全てが時効でしょう。
少なからず、これが今のわたしの野球の礎になっているに違いありません(笑)。
そういえば、高校三年の秋頃にも、あと三歩ぐらいで悲願の甲子園に行きそうだった野球部5名、我々水泳部2名をはじめ、サッカー部、ラグビー部、バスケ部、剣道部、卓球部等の有志が昼休みに十数名集まり、剣道場で竹刀をバットにし、軟式テニスボールを無断借用し野球をやりました。
我が水泳部の○○君は、カーブ(ドロップ)を得意とし、野球部の四番○○君(夏の県大会でホームランを5本打ちました)もきりきり舞いでした。
しかし、神聖な剣道場で、おまけに竹刀をバットにしてはまずいだろうという意見もあり、自主的に早々に解散する運びとなりました。
ところで、先ほど記述したように、わたしは高校時代は水泳部に所属していました。
我々の高校時代は、練習中にのどが渇いても水は飲むな!(酒ならよし)という時代でした。
幸いなことに、わたしは水泳部でしたから、練習中にのどが渇いてたまらないときはプールの水を少し飲んでいました。(水泳も汗をかきます。溺れそうになって飲んだわけではありません)
我々が練習しているプールの水は透き通ってとてもきれいでした。
ところが、高校一年の夏のプール開き後に、衝撃の事実を目の当たりにしました。
プールの中は白く濁り、浮遊物が舞い、透明度が全くなくなっていますた!
前置きが長くなりましたが、わたしは、ロッテ時代の落合博満選手の神主打法から放たれた川崎球場右翼席への本塁打にしびれました。
以上です。
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- 事務局に通報しました。
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