☆5年間で800冊記念~夏の選手権大会通算800号を記録した水戸商~

以下は、夏の選手権大会において記念本塁打を記録した学校である。



1号    第 1回大会(1915年) 広島一中
100号  第28回大会(1946年) 浪華商
200号  第49回大会(1967年) 市和歌山商
300号  第59回大会(1977年) 豊見城
400号  第64回大会(1982年) 熊本工
500号  第66回大会(1984年) 鎮西
600号  第69回大会(1987年) 東海大山形
700号  第72回大会(1990年) 高知商
800号  第76回大会(1994年) 水戸商
900号  第80回大会(1998年) 明徳義塾
1000号 第84回大会(2002年) 遊学館
1100号 第87回大会(2005年) 駒大苫小牧
1200号 第90回大会(2008年) 報徳学園
1300号 第94回大会(2012年) 作新学院



800号を放ったのは水戸商の大川選手であった。


 


水戸商業は茨城県の県庁所在地である人口約27万人を有する水戸市にあり、1902年(明治35年)に茨城商業学校として創立、硬式野球部は1905年(明治38年)に創部され、共に100年を超える歴史を有する。
甲子園には春4回、夏10回出場し、通算成績は14勝14敗、最高成績は春の選抜大会準優勝である。
また、戦時中の1942年(昭和17年)に文部省主催で開催された甲子園大会、所謂、「幻の甲子園」にも出場しベスト8に進出している。もしこれが夏の選手権大会であれば、水戸商は勿論、茨城県勢としても初のベスト8進出となっていたのである。
主な出身者には、石井藤吉郎氏、豊田泰光氏と野球殿堂入りした2名がおり、同校の構内には記念碑が建立されている。また、立教大学時代の長嶋茂雄終身名誉監督を猛ノックで鍛え上げた人物として知られている砂押邦信氏も水戸商出身である。


夏の大会予選には茨城県勢としては竜ヶ崎中に次いで、土浦中と共に1917年(大正6年)に初参加(第3回大会関東予選)した。
1回戦で立教中を7-3で破り予選初出場初勝利を飾った。
その後、第5回、第7回、第11回大会関東予選の決勝に進出するも、竜ヶ崎中(第5回、第7回)、前橋中(第11回)に大敗を喫し、甲子園の夢が断たれた。


初の甲子園出場は1927年(昭和2年)第13回夏の大会であった。
茨城県勢と千葉県勢が甲子園代表の座をかけた南関東大会予選で、銚子商を15-0、水戸中を2-1、千葉中を7-3で破り、悲願の甲子園行きの切符を手にした。
これまでに夏の大会予選で積み上げた勝星は259勝、これは茨城県内最多を誇っている。


初の甲子園出場となった1927年(昭和2年)第13回夏の大会は、1回戦で山陰の雄と称された鳥取一中に9-1で敗れ全国大会の厳しさを思い知らされた。
甲子園初勝利は1933年(昭和8年)第19回夏の大会で、1回戦で満州の雄こと大連商(満州)に4-3と接戦を制し、水戸商野球部の歴史に新たな1頁が刻まれた。同時にこれが茨城県勢としての甲子園初勝利であった。



古豪・水商(すいしょう)、白地のユニフォームに筆記体で書かれた「MITO」のマークが甲子園で活躍する姿をそろそろ見てみたいものだ。


 


一つ前の日記で取り上げた初日記と比べると、かなりマニアックになって来たんじゃないかしら?(´・ω・`)


 


 


以上です。

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