☆444号記念~ミスターの母校&千葉県高校野球創成期に迫る~
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鶴丸 深志’
2010年09月26日 12:49 visibility2188
~千葉県高校野球創成期年表~
明治25年(1892年)
佐倉集成学校(佐倉高校)で野球が始まる
明治29年(1896年)
佐倉集成学校にベースボール会が誕生し、組織的な活動が始まる
明治30年(1897年)
千葉中(千葉高校)野球部創部
明治32年(1899年)
初の対外試合が行われる
千葉中 27-9 佐倉中
明治33年(1900年)
成田中(成田高校)野球部創部
銚子中(銚子商)野球部創部
明治34年(1901年)
木更津中(木更津高校)野球部創部
安房中(安房高校)野球部創部
茂原農学校(茂原農業→茂原樟陽)野球部創部
明治35年(1902年)
佐原中(佐原高校)野球部創部
大成館(長生高校)野球部創部
成東中(成東高校)野球部創部
千葉師範野球部創部
このころより各中学校の親善試合が盛んに行われる
大正4年(1915年)
第一回全国中等学校優勝野球大会が始まる
大正7年(1918年)
大多喜中(大多喜高校)野球部創部
大正13年(1924年)
関東大会が初めて千葉県で開催され、佐倉中・大多喜中が初参加
甲子園球場が完成し、この年より全国大会が甲子園で開催となる
大正15年(1926年)
千葉師範が千葉県勢として初の甲子園(第12回大会)出場
千葉師範 4-9 新潟商
昭和10年(1935年)
千葉県勢の甲子園(第21回大会)初勝利
千葉中 16-9 石川工
~佐倉一時代のミスター~
<1年時>
昭和26年(1951年)7月16日。夏の千葉大会2日目、佐倉一(現・佐倉)が優勝候補No.1の安房一(現安房)と対戦した。
佐倉一のショートで7番打者は1年生の長嶋茂雄であった。公式戦初出場となったこの試合は2打数無安打2四球に終わった。
<2年時>
昭和27年(1952年)、2年生になり4番に座った長嶋は、初戦の旭農戦で三塁打を含む5打数3安打の活躍。
2回戦の市原一戦では、二塁打を含む4打数2安打で、同じく2年生の奈良投手が被安打2と好投しての快勝。
3回戦では、優勝候補の筆頭・船橋と対戦。船橋の本塁打攻勢の前に手島、奈良両投手が打ち込まれチームは大敗するが、長嶋は二塁打を含む5打数2安打と気をはいた。
<3年時・千葉大会>
最終学年となった、昭和28年(1953年)5月2日、春の千葉県選抜大会の開会式直後の試合で佐倉一と安房一が対戦。
主将になった長嶋は4番でショート。佐倉一は初回に内野陣が乱れ4失点。打線も振わずわずか4安打で敗れた。この試合、長嶋は4打数1安打であった。
いよいよ最後の夏となる昭和28年(1953年)夏。この年は春のセンバツ出場の銚子商と、前年に甲子園ベスト4で甲子園経験者が6人も残る成田が優勝候補だった。
千葉大会開幕の前、成田は佐倉一と練習試合をしている。この試合はショートからサードにコンバートされたばかりの長嶋茂雄の活躍などで佐倉一が勝利を収めた。
戦後、成田に一度も勝っていなかった佐倉一だけに大きな自信となり、一方の成田は、まさか近隣の学校に負けるとはとショックが大きかったようだ。
本番の千葉大会にもこの影響があらわれ、成田は調子を回復できぬまま初戦で初陣の千葉商大付に1-2で敗れた。
千葉県で最初に野球を始めた学校である佐倉一は、戦前には千葉を制したことこともあったのだが甲子園経験はない。
この年はいい選手が集まっており、特に長嶋は、反応の鈍かったショートから動物的勘を生かせるサードに移ってから力を発揮した。
初戦の千葉工戦は、先行されるも5回に板倉の二塁打やスクイズで逆転、6回にも集中打で快勝。長嶋は4打数1安打。
3回戦は市原一と対戦。試合は投手戦となり、0-0で迎えた8回、佐倉一の1死一二塁の好機にショートのトンネルで1点を挙げた佐倉一が辛勝した。エース奈良は5四球を与えたもののノーヒットノーランを達成。
準々決勝の東葛飾戦では、投打が噛み合い7回コールドの快勝。エース奈良は被安打2、長嶋は二塁打を含む3打数2安打だった。
準決勝では、エース奈良投手が打たれ、銚子商に大敗したが、この試合でも長嶋は4打数で二塁打1本。ベスト4の佐倉一は南関東大会へと駒を進めた。
<3年時・南関東大会>
大宮球場で行われた南関東大会は、雨で延びていた千葉大会の後すぐに開催され、千葉勢には苛酷な日程となった。
佐倉一は初戦で豪球投手・福島を擁する熊谷と対戦。熊谷は初回、奈良の立ち上がりを攻め、4安打を集中し3点を先行、打力のない佐倉一には厳しい展開となる。
3-0のまま迎えた6回、長嶋は、後に伝説となるバックスクリーンへの特大ホームランを放つ。
動揺した福島は乱れを見せ、1死満塁と攻めるがあと1本が出ず無得点。逆に7回にダメ押し点を奪われ、4-1で熊谷が勝利を収めた。
長嶋は高校3年間の公式戦で無安打に終わったのは1年時のデビュー戦のみだった。
佐倉一、そして長嶋が甲子園に姿を表わすことはなかったが、長嶋はこの強烈な本塁打で一気に名を上げ複数のプロ野球球団からも誘いを受けたが、砂押監督を慕い立教大へ進学したのであった。
~佐倉高校の実績~
千葉県大会通算成績
159試合 80勝78敗1分 .506
22年度主な大学合格者数
千葉大 40名
東京医科歯科大 1名
早稲田大 56名
慶応大 18名
ICU 1名
以上です。
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