☆第90回選抜高校野球大会出場校予想からみえた一中創立に影響を与えた関ヶ原の戦いから明治維新にかけての歴史的背景

 

 

 

来春の第90回選抜高校野球大会に出場する21世紀枠の各地区候補9校が12月15日に発表され、近畿地区からは滋賀県の膳所高校(大津市)が推薦された。

しかしながら、滋賀県からは一般枠で近畿大会4強の近江高校(彦根市)と8強の彦根東高校(彦根市)が選出される可能性が高く、また、彦根東高校と似たような伝統校なので、個人的には膳所高校の21世紀枠選出は難しいのではないかと考えております。とはいえ、滋賀県の伝統校である膳所高校と彦根東高校の名前が挙がっているのは、我々、中等學校野球部史研究家としては喜ばしいことである。 

そういえば、この両校は滋賀県のナンバースクールだ。ナンバースクールは名門校の証といえよう。一中が彦根東高校、二中が膳所高校である。基本的には、一中は都道府県の庁所在地に設立されたが、いくつかの例外があり、滋賀県もそのひとつである。その理由は、関ヶ原の戦いや幕末、明治維新といった歴史と深くかかわっている。

滋賀県の場合、幕末に井伊大老を出した彦根藩が25万石の雄藩であったが、県庁所在地になることを拒否したため、6万石の膳所藩があった大津市に県庁が置かれた。しかし、滋賀県立一中は、井伊家が関ヶ原の戦いで東軍の徳川家康側につき、見事な働きぶりを示したことで彦根に置かれることになった。関ヶ原の戦いで井伊家は、鎧、兜などをすべて赤くし、『井伊の赤鬼』と恐れられた。それを『赤鬼魂』と呼び、先駆者精神を象徴する言葉になっている。こうしたことから、彦根東高校は『赤鬼魂』を校是としている。甲子園で彦根東高校を応援するアルプススタンドが真っ赤に染まったのもこのためだ。

青森県は、幕末に日本海側の弘前藩と太平洋側の八戸藩が対立しており、明治政府は県庁を青森市に置いた。しかし、一中は弘前、二中は八戸、三中を青森とした。

奈良県は、ナンバースクール制はとらなかったが、大和郡山市に1893年に設立された奈良県尋常中学(郡山高校)が最初で、江戸時代に大和郡山藩15万石が領していたからだ。奈良市は江戸時代、柳生藩1万石の小藩だった。このため奈良中学(奈良高校)は、畝傍中学(畝傍高校)より設立が遅れた。

福島県は、幕末に計11の藩が乱立。大藩は会津の松平家23万石で福島県の県庁は会津に設置されるべきだった。しかし、幕末の戊辰戦争で最後まで薩摩・長州の官軍に抵抗した会津は、明治政府から疎んじられた。県庁は、3万石の小藩にすぎなかった福島市に置かれた。また、一中は、守山藩があった郡山に設立された。それが現在の安積高校である。守山藩は2万9000石の小藩で、水戸徳川家の支藩にすぎなかった。親藩だったが、薩長と戦わずして、いち早く官軍側に寝返ったことが薩長明治政府に評価されたようだ。会津中学は1890年に私立として開設され、1899年に県に移管されて会津高校の前身となった。しかし、二中(磐城高校)、三中(福島高校)のようなナンバースクールにはさせてもらえなかった。明治政府により徹底的に忌避されたのだ。

 

このように、ナンバースクール設立には意外な歴史的背景があった。

 

 

 

 

 

以上です。

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