☆センバツ大会より早い春季高校野球東京都大会一次予選観戦記~中央大学附属高校~

春の選抜高校野球大会より一足早く、土曜日から春季高校野球東京都大会一次予選が始まった。

世間は「春はセンバツから」と言いますが、ここ数年、アタシの場合は「春は春季高校野球東京都大会一次予選から」になっています。

早速、ラボーラではすっかりお馴染みとなった修徳高校野球場に向け、愛車のレクサスCT200hを走らせた。

 

 

 

 

観戦したかったのは中央大学附属高校、勿論、初めての観戦だ。ユニフォームはアイボリーホワイトで胸には「CHUO」と書かれていた。おそらく、中央大学と同じではないでしょうか?

試合の方は、都立光丘高校を相手に五回終了時点で、3 - 1 とリードする展開であった。

 

中央大学附属高校は東京都小金井市にあり、1909年(明治42年)に目白中学校として開校された。その後、幾度かの校名変更を経て、1952年(昭和27年)に学校法人中央大学と合併。1963年(昭和38年)に小金井市へ移転し現校名となった。

夏の全国大会予選には、目白中学時代の1919年(大正8年)第5回大会予選(京浜大会)に、都内では早稲田実、荏原中(日体大荏原)、日本中(日本学園)、早稲田中(早稲田)、慶応普通部(慶応)、立教中(立教新座)、成城中(成城)、麻布中(麻布)、青山学院、錦城商(錦城学園)、大成中(大成)、高輪中(高輪)、明治学院(現在は不参加)、豊島師範、白金中(廃校)、東洋商(東洋)、赤坂中(日大三)に次いで初参加した。結果は、早稲田実に 7 - 28 と大敗を喫した。

夏の予選初勝利は、翌年の第9回大会予選(京浜大会)で、横浜一中(希望ヶ丘)に 5 - 2 で勝利した。

中央大学の附属高校となってからの初勝利は、1952年(昭和27年)の第34回大会予選(東京大会)で、工学院大高に 7 - 3 で勝利した。

目白中学時代からの夏の予選通算成績は、128勝115敗である。

 

 

平成最後の春、中央大学附属高校は一次予選を突破できるだろうか?

(その後、結果を確認したところ、4 - 6 で惜しくも敗退となりました)

 

 

 

 

 

以上です。

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