☆野球年報の写真から~中學修猷館、竜ヶ崎中學~
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鶴丸 深志’
2019年06月06日 22:27 visibility1419
1784年(天明4年)福岡藩に二つの藩校が開館。その名は甘棠館(西学問稽古所)と修猷館(東学問稽古所)である。開館から14年後、大火により甘棠館は焼失したが、生徒全員、修猷館に編入し、以後福岡藩の藩校は修猷館のみとなる。
修猷館の名は『尚書』「微子之命」から引用された章句「践修厥猷」に由来する。藩校設立から230年あまり一貫して校名に「修猷館」を掲げている。さらに、生徒を「館生」、校長を「館長」、校歌を「館歌」、校旗を「館旗」と称しているあたりも他とは違うこだわりを感じる。
修猷館高校こそが、最近増えている「○○館」高校の本家本元である。
伝統ある修猷館高校に野球部が創設されたのは1895年(明治28年)で、福岡県最古の歴史を有する。
夏の全国大会予選には、1915年(大正4年)第1回大会予選(九州大会)に福岡県勢としては、久留米商、豊国中、八女中、福岡師範、中学伝習館、嘉穂中とともに初参加した。
結果は、初戦で八女中に 8 - 5 で勝利し予選初勝利を挙げた。続く準決勝では、豊国中に3 - 4 と惜敗であった。
予選通算成績は108勝93敗、最高成績は3度の準優勝である
ユニフォームのマークは、創部以来「SHUYU」が受け継がれているようだ。
竜ヶ崎一高は1900年(明治33年)に土浦中学の龍ケ崎分校として開校した。分校設置については県南の各地域から手が挙がったが、 最終的に龍ケ崎の地に決定したのは、当時の龍ケ崎町長や有志による働きかけが大きいものであったためと考えられる。校名の表記が「龍ヶ崎」から「竜ヶ崎」に改称されたのは、1949年(昭和24年)のことである。2020年度からは併設型の中高一貫校となる。
野球部は1902年(明治35年)に創部され、春1回、夏は9 回の甲子園出場を誇り、関東の公立校として初めて甲子園出場を果たしている。
夏の全国大会予選には、1916年(大正5年)第2回大会予選(関東大会)に茨城県勢として初めて参加した。
結果は、初戦で錦城商に 15 - 1 と大勝し予選初勝利を挙げた。続く二回戦は、早稲田中に7 - 8 と惜敗であった。
夏の予選通算成績は225勝89敗である。
ユニフォームのマークは、創部以来「R」の一文字が受け継がれているようだ。
以上です。
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