一年振りの岩手県(その四)
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タカパン
2012年08月18日 09:37 visibility168
宮古市を離れ、一路、岩手県と宮城県の県境の気仙沼市を目指す途中
昨日書いた日記を少し訂正したくなりました。。。
山田町や大槌町、大船渡市、陸前高田市などを見る限り、
『復興』とは、何をもって成し遂げられるのか?
と改めて考えさせられました。
元の街があった場所は
ほとんどが、整地されてはいましたが、
解体されずに、被害当時の面影を遺す建物
廃材(『津波の被害を受けた建築物』の残骸)を仕分け保管する場所になっている場所もありました。
海から1キロメートル以上離れたところからでも、堤防があったであろう場所を見ることが出来ました。
堤防すらないところも、まだ、たくさんありました。
ただ、プレハブで作られた商店街は、前回に比べて増えていました。
街作りの難しさ、もう一度、同じ場所へ戻ることの難しさ(自分が立っている場所が何処なのかすらわからない)をお店などで聴くと、
一年では劇的に変わることのない虚しさを、改めて感じました。
そんな中でも、お店を開いている方々、
道の駅で、もぎたての野菜を陳列している農家の方々と売り子さん
いろいろな方々の生き生きした顔、生きていかなくてはいけないんだという顔を見ると、自分も何かしなくてはいけないと勇気を貰えました。
テレビで見るような、なま易しい光景ではありませんが、ぜひ、皆さんに、現地を見に来て、各々感じて欲しいと思います。
写真は、今朝の陸前高田市と気仙沼市の様子です。
陸前高田市
5階建てのアパートが2棟あり、海側の『1』は4階まで、『2』は3階まで浸水していました。
その手前に建っていた建物は、中か空洞と化していました。
照明施設だけが残った野球場
津波の恐ろしさを、まだ遺しています。
高田の一本松は、霞んだ街の中に、ひっそりと立っていました。
気仙沼市
街の中に、巨大な船
ひまわりの花畑が、あちこちに見られました。
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- 事務局に通報しました。
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