一年振りの岩手県(その四)

宮古市を離れ、一路、岩手県と宮城県の県境の気仙沼市を目指す途中


昨日書いた日記を少し訂正したくなりました。。。


山田町や大槌町、大船渡市、陸前高田市などを見る限り、


『復興』とは、何をもって成し遂げられるのか?


と改めて考えさせられました。


元の街があった場所は

ほとんどが、整地されてはいましたが、

解体されずに、被害当時の面影を遺す建物

廃材(『津波の被害を受けた建築物』の残骸)を仕分け保管する場所になっている場所もありました。


海から1キロメートル以上離れたところからでも、堤防があったであろう場所を見ることが出来ました。


堤防すらないところも、まだ、たくさんありました。


ただ、プレハブで作られた商店街は、前回に比べて増えていました。


街作りの難しさ、もう一度、同じ場所へ戻ることの難しさ(自分が立っている場所が何処なのかすらわからない)をお店などで聴くと、


一年では劇的に変わることのない虚しさを、改めて感じました。


そんな中でも、お店を開いている方々、

道の駅で、もぎたての野菜を陳列している農家の方々と売り子さん


いろいろな方々の生き生きした顔、生きていかなくてはいけないんだという顔を見ると、自分も何かしなくてはいけないと勇気を貰えました。


テレビで見るような、なま易しい光景ではありませんが、ぜひ、皆さんに、現地を見に来て、各々感じて欲しいと思います。



写真は、今朝の陸前高田市と気仙沼市の様子です。


陸前高田市

5階建てのアパートが2棟あり、海側の『1』は4階まで、『2』は3階まで浸水していました。


その手前に建っていた建物は、中か空洞と化していました。


照明施設だけが残った野球場


津波の恐ろしさを、まだ遺しています。


高田の一本松は、霞んだ街の中に、ひっそりと立っていました。



気仙沼市

街の中に、巨大な船


ひまわりの花畑が、あちこちに見られました。







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