読んでみた~若林忠志が見た夢

  • 仲本
    2011年06月11日 22:17 visibility411


(ネタに困ったら本を読め!(苦笑))


さて、甲子園歴史館では春の選抜高校野球大会終了後、「初代エース若林忠志と助っ人外国人列伝」という企画展をやっている。なぜ今若林なのか。というか誰なのか。と思っていたら書店にこういう本が並んでいた。どうもこれが元ネタらしい。幸いなことに近所の図書館に新刊で入ったので、梅雨の休日の暇つぶしになるだろうと思って借りてきた。



若林忠志。ハワイ出身の日系二世。日系人選抜野球チームの一員として来日したことが縁で法政大に進学し、六大学では43勝をマークする。社会人を経て1936(昭和11)年大阪タイガース創設時に入団、背番号は18だった。「七色の変化球」を操るといわれ、タイガース在籍時には233勝を挙げた。
1944(昭和19)年、戦前最後のシーズンでMVPを獲得。終戦後は一時野球を離れ、妻の郷里で事業を営んでいたが、プロ野球が再開された1946(昭和21年)の9月、巨人戦のリリーフとして後楽園球場のマウンドにユニフォーム姿で現れる。大投手の電撃復帰に観客は大歓声、NHKのラジオ実況も驚いて「若林が帰ってきました!」と叫んだ。
草創期から2リーグ分立までのプロ野球と一人の名投手をめぐる話。若林投手はこのリーグ分立時にタイガースと袂を分かち、新球団・毎日オリオンズへ移籍する。それ以来再びタイガースに帰ってくることはなかった。当時「裏切り」ともいわれた彼の真意とは。彼がプロ球界に託した夢とは。昔のことに詳しい人なら先刻承知の話だと思うが、虎ファンなら読んでみて損はなかろう。最近復刻している「黒虎」ユニフォームもこの人が現役時代のことである。わたしも不勉強で知らないことばかりだったのでかえって面白かった。




なお、甲子園歴史館の企画展のほうは7月末まで。つまりこれは長年のすれ違いを超えて、「(甲子園に)若林が帰ってきました!」というメッセージなのだろう。



(参考:『若林忠志が見た夢~プロフェッショナルという思想』内田雅也/彩流社/2011年)





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