読んでみた~裸の大将一代記

  • 仲本
    2012年01月21日 19:47 visibility149




またしても野球関係なしで申し訳ない。ひろーい意味で「放浪記」ネタであります。



「放浪記」、と聞けばわたしくらいの年代の人間は芦屋雁之助が演じていたテレビドラマを思い出す。たまーにわたしの日記の中でも「線路沿いに歩けばなんとかなる」と呟いてみたり「♪野に咲く~花のように~」とか突然歌い出したりすることがあるが、それもこれもこのドラマが元ネタなのだった。


裸の大将こと山下清。実在した人物であることは知っているがくわしくは知らない。年末から正月のヒマにまかせて本を探してきた。本人が書き残してドラマの題材にもなった「裸の大将放浪記」とは異なるが、伝記としてはこちらのほうが読みやすい。

 



精神薄弱児(本の表現のまま)にして貼り絵に特異な才能を示したことが保護施設を見学に来た心理学の先生の目にとまり、施設の子供たちの作品を集めた展覧会で話題をさらった。ところが当の本人はそんなこととはいざ知らず、翌年の秋に突然施設を飛び出してしまう――。清19歳、昭和15年の秋のことだった。

常磐線をたどった沿線の町々では、突然門口に「のろまなやつ」がぬぼーっと立っている。聞けば両親と死に別れて(←これは清の方便。母親は清が亡くなったときも存命)、行くところがないという。もちろん世間の人はこれが名だたる画家を驚嘆させたほどの貼り絵の名手と知るはずもない。しょうがねえな、使ってやるか。すでに大陸での戦争が始まっており、若い男手が足りなくなっていたとはいえ、読むと当時の日本には「困ったときはお互いさまよ」、の風が満ちていたのだなあと感じる。後半生は「“天才画伯”いまいずこ」という新聞記事をきっかけにいわば再発見され、異色の絵描きとして遇されるようになった。もはや気ままな放浪は許されない。したがって無名時代の放浪のくだりのほうが読み物としては抜群に面白い。

ところで、この人の放浪の跡がなぜ残っていたかというと、放浪にも飽きて元の施設にひょっこり戻ってきたときに、先生に「施設を出て行ってからどうしていたか、日記に書きなさい」といわれて書いたのだとか。「放浪記」は一種の反省文みたいなものだったわけだ。

 



さて、わたしのほうは諸事情あって放浪記はお休み中。そろそろ淡路島の地図でも調べておいたほうがよいのだろうか…?

 

(参考:小沢信男「裸の大将一代記~山下清の見た夢」/ちくま文庫/2008)

chat コメント 

コメントをもっと見る

通報するとLaBOLA事務局に報告されます。
全ての通報に対応できるとは限りませんので、予めご了承ください。

  • 事務局に通報しました。