代表校放浪記おまけ〜皆勤校・時習館

  • 仲本
    2015年02月28日 23:14 visibility805






(道の左側が豊橋工、右側が時習館)

どうして学校ばかりあるのかというと、かつてこのあたりは広大な敷地を占める大施設――陸軍の予備士官学校があった。第二次大戦に負けて陸軍は解体、ぽっかりと空いたところに学校が移ってきたからだ。新日本建設のためには青少年の教育を、というわけだ。豊橋もまた空襲で町の大半がやられて、もとの校舎が焼けてしまったという事情もあった。










そんな経緯もあってか、時習館高校はやたらと広く、門をくぐると並木道があったりする(入ってないけど)。校内の案内看板には陸上のトラックらしいものも見てとれるから、 グラウンドの狭さで21世紀枠を勝ちとるのは無理そうだ(笑)。



豊橋勢の春の選抜出場は62年ぶりで、前回出場したのがこの学校。というよりも、夏の選手権大会の第一回予選から欠かさず出場している皆勤校15校の一つとして一部マニアにはおなじみだ。



当然、野球部の創部は古く、1899(明治32)年にさかのぼる。こんな応援歌が伝わっている。



♪文武を磨くその中に 粋と呼ばるる野球団



うっかり粋の字を「いき」と読んでしまいそうだが、「すい」が正しい。日本野球の最古の強豪チームであった旧制一高出身の教師が、母校の野球部部歌と同じ旋律に新たに詞をつけたものだという。学校のHPによれば大正の初年にはすでにあったそうだ。



第一回大会の東海予選では決勝で三重・山田中学に敗れて出場を逃したが、翌年の第二回大会では見事優勝し、全国大会に出場している。当時の校名は愛知四中といった。



藩校に由来する「時習館」を再び名乗ったのは戦後新制高校になってからだ。和歌山の桐蔭は「旧体制の温床となりかねない」として伝統の「和歌山」の名を使うことを占領軍の行政部署に認められなかったそうだが、このあたり、地域によって対応にばらつきがあるのも面白い。










(門もたくさんあります。今回もいい徒労ぶりでした)




















































(↓過去に観戦した、時習館の試合の様子はこちらで)

http://labola.jp/diary/19535098


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