記録は語る~春の甲子園出場の北限をめぐって

  • 仲本
    2013年12月07日 22:49 visibility942

前回取り上げた『佐伯達夫自伝』を返しに行ったついでに、図書館で毎日新聞の縮刷版のページを繰ってみた。”近畿中心の野球祭り”を方便として再開した選抜高校野球大会の出場校の選考はその後どうなっているのか。書棚から手に取れるのは1951(昭和26)年からだったのでやや空白期間があるがとりあえず列挙してみる。なお、選抜枠の全国各ブロックへの割り振りが始まったのは1950(昭和25)年からだという。諸事情あって北海道・東北は厚めに調べています。


1951年(代表校16校)
関東3、中部3、近畿5、中国2、四国1、九州2
※関東の顔ぶれは宇都宮工業、明治高、湘南高。選外優秀校は水戸商業。


1952年(代表校18校)
北海道1、関東2、中部3、近畿6、四国2、中国3、九州2
※九州3校目と北海道で決選投票となり、北海道の函館西高が北海道勢として初出場。北海道との比較検討の末落選した長崎商業は、のちに九州の門司東高が出場辞退となったため繰り上げ出場。


1953年(代表校19校)
関東以東3、中部4、近畿8、四国1、中国1、九州2
※「関東以東」の顔ぶれは北海高・銚子商・早稲田実。選外優秀校に東北勢として初めて気仙沼高が選ばれる。「北海高が出場辞退となった場合に繰り上げ出場」とある。


1954年(代表校19校)
北海道・東北1、関東2、中部(北信越含む)4、近畿7、中国1、四国2、九州2
※この年初めて新聞記事の選考経過に「北海道・東北」の記述あり。長野だけでなく新潟・富山・石川・福井の4県の連盟からも共同の推薦書をとりつけ、自信を持って送り出された長野・飯田長姫高は見事優勝する。


1955年(代表校20校)
北海道・東北2、関東2、中部(北信越含む)3、近畿7、中国1、四国2、九州3
※松山商業は卒業した空谷投手のプロ野球入団問題が後を引き、「品位」を問われて選抜を逃す。高知・城東高との比較検討だった。東北勢として一関一高が初出場。東北・北海道の選外優秀校は北海高、米沢商業。


1956年(代表校20校)
北海道・東北2、関東2、中部4、近畿7、中国1、四国2、九州2
※選外優秀校、北海道は函館工業・稚内高の2校。東北は秋田市立商業。


1957年(代表校20校)
北海道・東北2、関東2、中部4、近畿6、中国2、四国2、九州2
※7校が定着しつつあった近畿が1校減。選外優秀校に稚内高、東北は福島商業。


1958年(代表校23校)
北海道・東北2、関東3、中部4、近畿7、中国2、四国2、九州3
※選外優秀校、北海道は稚内高、東北は東北高。浪商出場辞退で和歌山工業が出場。


1959年(代表校23校)
北海道・東北2、関東3、中部4、近畿7、中国2、四国2、九州3
※選外優秀校、北海道は北見柏陽高、東北は秋田商業。


見ていて面白いのは1956年から3年連続で北海道の稚内高校が選外優秀校になっていること。稚内といえば北海道の中でも最北の地、せめて賞状の一つでも、ということなのだろう。しかし選抜校が出場辞退ということになれば繰り上げ出場の可能性もあったわけで、そうなれば「最北の春の甲子園出場校」の記録が大きく変わっていたことになる。

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