皆勤校放浪記〜大阪府立市岡(前)

  • 仲本
    2010年07月21日 22:04 visibility516




(交差点の向こうが市岡高校。後方には高層マンションとホテルが建つ)
JR大阪環状線で大阪駅から約10分。弁天町という駅がある。ここは大阪市港区、駅の東・南部が市岡元町、市岡、南市岡という町名になっている。昔からの住宅や商店に、はやりの高層マンションなどが混在する町の中、大通りに面して大阪府立市岡高校がある。
古い学校は移転しているケースもままあるが、この学校は1901年の創立以来ずっとこの場所。当時はスイカ畑の真ん中に立っていたという今となっては信じがたい話がある。

…と、もったいぶって書いてきたのだが、実はこの学校、ご近所なのである。その気になれば自転車でひょいと行けるところだ。高校進学の時には受験を考えないでもなかった。

そんな学校に久々の甲子園のチャンスが巡ってきたのは1986年の秋。大阪大会7試合を勝ち抜いて優勝し、近畿大会にコマを進めた。府立の古豪の快進撃を関西のテレビニュースはこぞって取り上げた。思えば三本線の帽子を目にしたのはこの時が初めてだった気がする。

近畿大会には14校が参加した。当時近畿の選抜大会の出場枠は7校が濃厚で、一つ勝てば甲子園出場の可能性がぐっと近づくのだった。初戦の相手は兵庫の強豪・報徳学園だったが、終盤に一挙6点を奪った市岡が勝利を収める。続く滝川第二戦には接戦の末敗れるが、翌年春の甲子園には近畿代表として大阪からはPL学園とともに選抜される運びとなった。

当時の甲子園のベンチ入り選手の中に同じ中学出身の選手が一人だけいた。面識も何もないが、一応先輩にあたる。残念ながら試合には出なかったが一塁のベースコーチでチラッとテレビに写っていた。あれから何年も経つが、うちの中学を卒業して甲子園に出たのはその後も皆無に近い。
(画像2枚目。校門の中の建物は同窓会館。校章にも三本ラインが描かれている)










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