第一回選手権&皆勤校放浪記〜県立神戸高校(後)

  • 仲本
    2010年07月03日 22:31 visibility628




坂道を登ると右手にグラウンドが見えてきた。野球部の子たちが片付けに入っているところだった。山側に校舎があり、コンクリートの石段で少しばかりグラウンドに下る格好になっている。正門とそれに続く校舎正面は堂々とした城郭風。近年、校舎改築となったときにもさすがにこの風景は捨てきれず、正面部分は修復保存で決着した。振り向けば登ってきた長い坂道がまっすぐに伸び、はるか前方には神戸の港が一望できる。いろいろ放浪してきたが、ここはなんとも「絵になる」学校だ。卒業生にとっては忘れられない風景だろう。伝統校だけあって卒業生は各方面で活躍している(野暮になるのでいちいち書かないが)。

1915(大正4)年、第一回選手権大会の兵庫予選は7校で争われた。神戸高校の前身である旧制・神戸一中は有力とみられていたが、準決勝でこちらも優勝候補・関西学院との対戦となり敗れた。念願の全国大会初出場は第5回大会。初戦で同じ関西の難敵・和歌山中学を逆転で降すと、慶応普通部、盛岡中学に完封勝ち。決勝戦でも長野師範を終盤突き放して7−4で勝利、初出場で初優勝を飾った。これは兵庫勢初の優勝でもある。朝日新聞社発行の大会史によると「にわか投手の殊勲」となっているが、これは予選直前に内野手から転向した山口投手の活躍によるものだ。全国大会初出場ということもあり、新進神戸一中とも書かれたが、当時神戸でプレーしたOB氏にはこれがあまりお気に召さなかったらしく、大会史や兵庫県高校野球史の談話でチクリとやっている。なにしろ野球部創部は学校創立と同じ1896(明治29)年、新進なんてとんでもないということだ。「まったく、天下の朝日も困ったもんだ、わっはっは」てなもんなのだろう。この時の閉会式では優勝旗を掲げての場内一周も断ったという逸話も残している。
全国大会出場は春3回夏4回。優勝したときの4勝を含めて通算6勝を挙げている。いずれも神戸一中時代のもので、新制・神戸高校になってからの出場はない。

同じく皆勤校の一つである兵庫高校(旧制・神戸二中)野球部とは毎年春に定期戦を行っている。始まったのは1908(明治41)年からとも1914(大正3)年からともいわれる“伝統の一戦”で、地元の新聞でもしばしば紹介されている。土地柄というべきか、生徒の応援ではジェット風船も登場するそうだ。




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