500回記念放浪記~龍谷大平安(後)
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仲本
2010年12月19日 00:13 visibility558
(だいぶ日が暮れてきました。この角度だと校舎の1Fってコンビニなの!?と見えなくもないですが、もちろんそんなことはありません。)
グラウンドのほうへまわってみる。この日は遅い時間のせいか、人の気配はなかった。そもそも硬式野球部は亀岡あたりに専用グラウンドがあるらしいので期待薄だったが。私学はいろいろとコース分けがなされているが、平安高校のHPによるとアスリートコースというのがあって、硬式野球部の生徒たちは基本的に全員このコースなのだとか(軟式野球は指定クラブではないので一般生徒と同じらしい)。要は午前中が教室での授業で、午後は体育実技中心…、ということである。
なにしろ全国最多の出場回数を誇る学校だから、昔から出てるんだろうなと思って記録を見てみると意外にも初出場は昭和に入ってからだった。夏の大会初出場は昭和2年(1927年)の第13回大会。それまで京都は京都二中が第1回に出場し全国優勝した後、一中、一商、同志社・立命館に東山と混戦模様だったが、平安初出場以降は太平洋戦争で中断をはさむまでの14回の大会で10度の出場とすさまじい勝ちっぷり。全国大会でも暴れまくって4度決勝に進出、「4度目の正直」で優勝をつかんだのが昭和13年(1938年)のことだ。戦後も1950年代に2度の全国制覇、60年代までは京都(当時は京滋ですかね)代表といえば平安、という時代が続いた。ところが1974年にベスト8に進んだのを最後に夏の甲子園から長らく遠ざかることになった。ちょうどわたしが高校野球を熱心に見ていた80年代は80年の春に出場して初戦敗退の一回のみ。
忘れかけていた古豪復活を鮮烈に印象付けたのはやはり97年。左腕・川口投手を擁して春夏に連続出場。一人で投げ抜いた夏の甲子園では準優勝に輝き、決勝戦の実況は「敗れはしたが夏のエース」と持ち上げた。その後プロへ進むことになる。
…えーと(おい)、
それはともかく、2000年代にも春夏3度ずつ甲子園へコマを進め、2009年夏には中京大中京-龍谷大平安となんだか校名がめんどくさくなった伝統校対決も甲子園で実現した。さすがに昔のように平安一人勝ち、というわけにはいかないが、健在ぶりを示している。
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